8月の活動状況


神社カラオケ大会委員会 盆踊り監査会 ラジオ体操協議会
西八町会盆踊り大会 総代会 庚申堂祭礼会議
今年最後の薬剤散布 幹部会 八広会総会
広報委員会 厚生委員会  

 

 最終回の薬剤散布の担当者は
左から、衛生部長の金沢太三郎、吉野栄、中西脩泰、木村富雄、塚田一の皆さんです。

 午前中とはいえども、30度を越す炎天下汗びっしょりになって、元気よく頑張っていました。

 この写真はタンクの薬剤がちょうど無くなり補充するときに並んで貰って取ったものです。

 後ろの散布機は、平成11年にリサイクル活動資金で購入したものです。

 緑色の、のぼり旗は昭和62年私が衛生部長の時に作ったものです。


 今月は、衛生部の薬剤散布が最終回になりました。初夏の5月から始めて都合4回、中央通りを挟んで2班に別れて、散霧機を5人一組になり町内隈なく広い道路から、狭くて噴霧する機械もロクスッポ入らない路地裏まで押し入れて、先輩役員が築き上げたコースを半日かけて回り、生も根も尽きる思いだったでしょう。

 中には、この行為に大変な理解をしていただき、路地端でお茶や菓子、くだものなどを接待してくれる方や缶飲料を渡して休憩するときにでも使ってくださいと本当に頭の下がる思いです。

 8月は何処も彼処も夏枯れです。当町会も行事らしき行事はありません。その中を両隣り町会では、月初めに納涼盆踊り大会が3日間に渡り盛大に賑やかに行われました。それでも今年は各町会主催の納涼盆踊りは低調気味だと言う話だそうです。
 
 それも、どうやら猛暑の性で昼間の買い物が、涼しくなった夕方から夜間にかけて出かけるらしく、スーパー、コンビニは、いつもの年より大賑わいです。

 
 今年の夏は5年ぶりの猛暑と晴天続きで、東京の水がめ利根川水系は、とうとう8つのダムで貯水量が30%台に減少して、10%の取水制限に入りました。

 東京都では多摩川水系の小河内ダムの上流で降雨実験を開始しました。曇り空になると、ヨウ化銀を温めてガス状にして上昇気流に乗せて雲に混ぜて雨を降らせるという事で、通常の降雨量の約5%増しだそうです。



 
 8月の声を聞くと日本全国夏の風物詩ともなった東北3県の青森ねぶた、秋田の竿灯、仙台の七夕、そして夏の全国高校野球と世間一般が、なんとなく夏休み気分で緊張感が薄れるような季節になります。これは私だけがそう感じている事でしょうか?

 旧盆を控えて東北3県をはじめ、全国で夏祭りが盛んに行われています。


     上は青森ねぶた
左は秋田の竿灯
            右は仙台七夕

 ●ねぶたの歴史 (8月1日、2日、3日、4日、5日、6日、7日)

 青森ねぶたは明治以降、人形型の灯籠を担いで練り歩く「人形ねぶた」に発展し、やがて台車に乗せる現在の形式になった。照明もろうそくから白熱電球、さらに蛍光灯へと変わって、祭りの主役は町内会単位で制作される手作りのねぶた(現在は「子供ねぶた」と呼ばれる)から、企業などが制作する豪華な大型ねぶたに移っていった。
 題材は神話時代から戦国期にかけての武将やエピソード、歌舞伎もの、さらには三国志・水滸伝に登場する中国の英雄が多く取り上げられる。
 ねぶた本体とともに、勇壮な太鼓や笛が奏でる「ねぶたばやし」、そして華やかな浴衣や花笠に身を包み「ラッセラー、ラッセラー」の掛け声とともに踊り跳ねる「跳ね人」が短い青森の夏の夜を盛り上げる。「戦勝の祭り」とも言われる青森ねぶたは光と音、響きに彩られた、五感で楽しめる祭りだ。
 弘前ねぷた祭りは8月1日から7日まで、「火扇」とも称される扇形の灯籠が市街地を練り歩く。勇ましく力強い「ヤーヤドー」の掛け声とともに、ねぷたが整然と行き交う様子から、戦への出陣の祭りと言われている。表側は青森ねぶた同様、武将や英雄の勇壮な絵が描かれる一方、裏側には対照的に美人画、水墨画などが描かれている。
 にぎやかな青森ねぶたが「動」の祭りなら、優美で情緒ある見送り絵に代表されるように、弘前ねぷたは「静」の趣がある祭りと言える。
                                               (東奥日報より)

秋田竿灯の歴史 (8月3日、4日、5日、6日)

 竿燈まつりは、真夏の病魔や邪気を払う、ねぶり流し行事として宝暦年間にはその原型となるものが出来ていたという。
 元々、藩政以前から秋田市周辺に伝えられているねぶり流しは、笹竹や合歓木に願い事を書いた短冊を飾り町を練り歩き、最後に川に流すものであった。
 現在残っているもっとも古い文献は、寛政元年(1789)津村淙庵の紀行文「雪の降る道」で、陰暦の7月6日に行われたねぶりながしが紹介されている。
 ねぶり流しは、五穀豊饒や技芸上達を願って翌7月7日に行われる七夕とともに、陰暦7月15日のお盆を迎えるための一連の行事でもあり、厄よけ、みそぎ、五穀豊穣などを願う現在の竿燈の形が除々にできあがっていった。それが、宝暦年間の蝋燭の普及、お盆に門前に掲げた高灯籠などが組み合わされて独自の行事に発展したものと言われている。このときにはすでに秋田独自の風俗として伝えられており、長い竿を十文字に構え、それに灯火を数多く付けて、太鼓を打ちながら町を練り歩き、その灯火は2丁、3丁にも及ぶ、といった竿燈の原型が記されている。

                                                

仙台七夕まつりの歴史  (8月6日、7日、8日)

 仙台の七夕は、仙台藩祖伊達政宗公が婦女子文化向上のため七夕行事を奨励したともいわれ、また、江戸時代、天明3年(1783)の大飢饉の際には、自然の猛威に農民、町人から武家特権階級に至るまで、甚大な影響をもたらしました。
 紙というものが非常に貴重で、反古紙(ほごがみ:書き損じていらなくなった紙)すら容易に手にすることのできる時代ではありませんでした。
 この状況の中で短冊1枚こそ、庶民の絶大な悲願がこめられ、神(祖霊)に捧げる祭は絶やすことができなかったのです。その世直し策として、盛大に行われたともいわれています。
 第6代伊達宗村の時から、6日の夕方から笹竹をかざり姫星と彦星を祭って、手習・手芸の上達を願い、七夕の笹のついた竹は、その小枝を落とし、物干竿に使用し、小枝は七夕飾りのついたまま7日朝、広瀬川に笹を流し、この日を七日浴(なぬかび)とも七日盆ともいい、本来は「みそぎ」をして盆祭に入る準備をする日だったのです。
 江戸風の七夕をとり入れた仙台では、七夕祭のことを「たなばたさん」といいました。
 現在では趣向をこらした七夕パレードも人気を集め、商店街振興から観光イベントへと変貌し竹飾りだけでなく名実ともに日本一のスケールを誇る七夕まつりとなり、訪れる観光客を楽しませてくれています。




 2001年 第83回 全国高校野球選手権大会   (全49校出場)

  
●●開会式での選手宣誓は、松山商(愛媛)の石丸太志(ふとし)主将が務める。●●

都立城東高等学校の応援席
 ベンチ一丸となっての大きな声、みんなのさわやかな笑顔を見ても、チームワークの良さが伝わってきました。
 みんなに夢と感動を与えてくれてありがとう!
   お疲れさまでした。
        東京都立城東高校校歌詩:岡野弘彦 曲:池辺晋一郎
1.緑の道に 風たてば
朝の陽きよく 照りわたる
ああ かがやける 窓や庭
ここにつどいて 身は若し
自律のこころ いさぎよく
われらは今日を 鍛えよう
2.ちまたに 昼の鐘は鳴り
知識の欲に 眼は燃ゆる
ああ とよみくる街の音
人みな生きて 美しき
友愛ふかく 胸に満ち
われらは学ぶ 広き学
3.空にむかえる よるの窓
思いしずかに 灯ともせば
ああ 聞こえくる 星の声
希望は遠く はるかなり
実践の意志 内に秘め
われらは歩む たくましく


東京の代表高校
 ●●都立城東高等学校(東東京)●●
   東東京2年ぶり2回目
出場1978年創部、都立校としては、史上3回目の甲子園入り、念願   の初勝利を目指すが残念。
 第7日目、8月14日(火)第2回戦から出場、第1試合神埼(佐賀)城東(東東京)
 
 
●●日本大学第三学園高等学校(西東京)●●
   西東京2年ぶり9回目出場1929年創部、春は71年に全国制覇したほか62年と72年準   優勝。OBに関根潤三ら。
 
第1日目、8月8日(水)第1回戦から出場、第3試合樟南鹿児島7−11日大三西東京
 
第 7日目8月14日8火)第2回戦   第4試合花咲徳栄(埼玉)4−11日大三(西東京)
 
第11日目8月18日(土)第3回戦   第1試合日大三(西東京)7−日本航空(山梨)
 
第12日目8月19日(日)準々決勝戦 第1試合日大三(西東京)−2明豊(大分)
 
第13日目8月20日(月)準決勝戦  第1試合日大三(西東京)−6横浜(神奈川)
 
第14日目8月22日(水)決勝戦    第1試合近江(滋賀)2−日大三(西東京)
 優勝戦は、台風11号の影響で1日順延した22日午後1時から、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で行われ、東京都民待望の日大三(西東京)が近江(滋賀)を5―2で破り、初優勝した。春の選抜大会で1971年に全国制覇した日大三は、夏の大会初優勝。西東京勢の優勝は76年の桜美林以来25年ぶり2度目だそうです。本当にお久しぶりだね!!。(日大三が全国4,150校の頂点に立った。)  
おめでとう!!、 オメデトウ!!!

    高等学校の教育
教職員と生徒が共に学ぶ姿勢を通して、学習の領域を一層広め、教育課程の編成の工夫と進学のための学力の向上に努めています。そして健康で明るい若者の豊かな才能が発揮されることを願いとします。あわせて、自主独立の精神に満ちた人格の形成、円満で品位のある生徒の育成に全力を注ぎます。
  日本大学第三学園校歌 作詞 佐々木 清之丞  作曲 山 本 正 夫
1.見よや 麗しの誠の光
昇る旭に ほのぼのと
匂う桜は 明く浄らに
愛と敬とに 輝き燃ゆる
若人われら 平和の芽ぐみ
日大三黌 この意気漲る
2.見よや 明るく正しく強く
雲井はるかに 玲瓏と
聳ゆる富士は 純白くうららに
我日本の 行く道 照らす
若人われら 文化の守り
日大三黌 この意気漲る
3.見よや 栄光の真魂は躍る
夕べさやかに 照る星の
緑に映ゆる 丘とこしえに
希望新たに 胸は高鳴る
若人われら 大道進む
日大三黌 この意気漲る

甲子園のツタ
ベストドレッサーに仕立て上げる緑のツタ。偉容を、よりシンボリックにしています。完成さ
れた年の冬に植栽され、繁殖力が強く壁面を飾るのにうってつけでした。以来、まさに歴
史を球場と共に歩んできました。株数約430本、葉の面積はタタミ8000畳分もあり、改
めて甲子園球場のスケールに驚かされます。植物学的には2種類あり、大部分は新緑と
紅葉が特に美しく、冬に落葉するブドウ科のツタ(一名ナツヅタ)。あとひとつは、球場正
面の7・8号門を覆っているウコギ科のツタ(一名フユヅタ)で、日当たりの悪いところでも
よく育つ特性を持っています。