7月の活動状況
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今年の、梅雨は7月に変わる前から明けたような、日々が続いていた。熱帯夜、真夏日の繰り返しが、学校の夏休み前まで連続して続いた。
今月の町会行事は、盆踊りでしょう。年々盛んになり、大勢の老若男女が大きな輪になり、また、幾重にもなって、熱さを忘れて、3日間を楽しんだ。
これから、あちらの町会、こちらの町会で納涼盆踊りが、趣向を凝らして行われ、あちこちへ出かける機会が、ふえ町は一層賑やかになります。
踊りの稽古日など、予定表も見かけます。先月の都議選も終わり、今は参議院選挙の真っ盛り、時たまボリュームを上げた選挙カーが通る程度ですが、各ターミナルでの党首を初め有名人が来るというと、何千、何万の聴衆が集まるそうです。
七夕飾り (7月7日)
東京23区近辺では阿佐ヶ谷や平塚の七夕飾りが、毎年、新聞紙面に写真や町の様子がにぎわします。
古来、お隣の中国では奇数の数字が並ぶ日を祝う習慣があり、七夕もその一つです。中国の「荊楚歳時記」によると、この日は牽牛と織姫が天の川をを渡って、1年にたった1度会える日だとされる。また、女たちは、庭に果物や御供え物して7本の針に糸を通し針仕事が上達するよう祈る。
孫の保育園でも、七夕飾りをするといって、いろいろの短冊に父親、母親にネガイゴトを書かせ、笹の枝に結び付け持っていた。子供の頃には、あくる日川に流しに行ったが、今はどうするのかな?
明治5年(1872)の西洋暦の採用で季節感がずれ、月の満ち欠けが日取りと合わなくなっているが、ときには、旧暦の日取りを見て、夜空の月や星を見るのも一興ではないか。
各地に伝えられる七夕行事には、女性は、この日必ず洗髪する。子供は、7回水浴びする。家族全員で、行水する。また、食器を洗う。井戸さらいをする。など禊、清める習わしが伝えられる。
隅田川花火大会 (7月28日)
享保16年(1731)、あるいは18年、全国的凶作で、餓死する者96万人に達した。また江戸でもコロリ(コレラ)が大流行して、多くの死者が出た。幕府は、その慰霊と悪病退散のため両国橋付近で水神祭を催した。そして余興として花火を打ち上げたのが両国の花火の始まりという。
後、江戸の年中行事として6月28日から8月28日までの間を納涼期間とし、その初日を川開きといって、花火を打ち上げた。その伝統が今日にも続いている。
日本で花火の色彩が明確に現れはじめたのは、塩素酸カリウムが輸入されるようになってからで、1879年ころからといわれている。その後、つぎつぎと新しい化学薬品が導入されるようになった。
なかでも打上花火は、色光の配置や変化など、日本で独特の発達をとげ、第一次世界大戦後には光輝剤や昼間の花火に染料煙が用いられるようになった。とくに現象の途中で光が二回、三回と変化する割物の手法は、現在日本以外ではその例がないようである。
また玩具花火も日本人の手作業の器用さを生かして多種多様なものが作られ、打上花火とともに輸出されるようになった。日本の花火は、世界一の花火と呼ぶにふさわしいものへと成長したのである。
当日は2万発の花火が打ち上げられ、隅田川に船を浮かべて見物する人、両岸、橋上を埋め尽くす観客は93万人以上にのぼります。
今年は兵庫県のJR朝霧駅前で花火見物客が大倉海岸への横断陸橋で群集心理でお年寄(70歳以上、2名、幼い子供2歳〜9歳、8名)計10名の尊い命が失われ、年1回の楽しみが一瞬のうちに、大惨事になりました。
その反省から、会場警備に10000人以上の警察官、警備員が動員され無事に終了し、大変きれいで、ユックリと夜空を見上げ、幸わせな気持ちになりました。
(在原業平)
「名にしおば いざ言問はむ都鳥 わが思う人はありや無しや」
ロマンチックな風情、色香を感じる浅草、向島、隅田川畔は、八代将軍、吉宗が隅田川の氾濫を防ぐ護岸の為に桜の木を植え、春は桜、夏は花火、秋は月見、の名所として、江戸時代から歴史上の人物、文人に愛され、居をかまえる人も多く、文人墨客の集う由緒豊かな地としても知られております。
周辺には水戸黄門の江戸下屋敷跡や高名な文人の句碑などの名所古跡も多く、隅田川とともに育まれてきた人情ゆたかな下町。悠久の流れ第24回隅田川花火大会(2001年)。
(画家 山下清) 昭和46年の初夏の事。
「僕は花火を見るのが好きで、花火の絵をよく描いたけれど、両国の花火は日本一だというし 多摩川の花火も日本一だという、新潟のはほんとうにすばらしかった。 仕掛けが大きくて日本一だそうです。 どれがほんとうの日本一なのか、ぼくは迷ってしまう」。
清は、こう呟きました。「今年の花火は、どこに行こうかな」その夜の事です。脳溢血で倒れた清は、49歳の生涯を終えました。
(作詞者 : 武島 羽衣)
武島羽衣(1872〜1967)は、東京に生まれ、明治29年東京帝国大学(現在の東京大学)
国文科を卒業し、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)などの教授を歴任した。滝廉太郎の
「花」の作詞者でもある。
隅田公園(花の歌碑)浅草7〜1 昭和31年11月3日建立
1.春のうららの隅田川 のぽりくだりの船人が 擢のしずくも花と散る 眺めを何に楡うべき |
2.見ずやあけぽの露浴びて われにもの言う桜木を 見ずや夕ぐれ手をのべて われさしまねく青柳を |
3.錦織りなす長堤に 暮るればのぼるおぼろ月 げに一刻も千金の 眺めを何に楡うべき |
(作曲家 : 瀧 廉太郎) 明治12年8月24日〜明治36年6月29日
明治33年11月に発行された組曲『四季』の春の部にあたる曲で、この組曲は日本人創作の詞にドレミファソラシドの西洋音階組織によって、日本人が初めて挑戦した芸術的にも極めて高水準の音楽作品だった。発表後、四分の三世紀経た今日から見ても、ピアノ伴奏部がすこぶる美しく、瀧廉太郎が〈日本のシューベルト〉と称される面目がここにある。作詞者武島羽衣(1872〜1967)84歳の誕生日に、日本女子大の教え子達が、言問橋近くの隅田公園に作詞者自筆の「花」の歌碑を建てた。(『日本抒情歌全集』長田暁二より)
お盆
7月13日が盆の入りで「迎え火」。15日が「盆」。16日が「送り火」です。また「お盆」はもともと旧暦の7月15日であったことから、新暦にあてはめて8月15日を「お盆」とする地方も多いようです。
日本では仏教が伝来する前から、神道的に御先祖様を信仰していました。「お盆」にあてはまる神事もあったようです。
仏教が伝来し仏教の「盂蘭盆(うらぼん)」と習合したのが、現在の「お盆」の概念になったそうです。
「盂蘭盆(うらぼん)」というのは、釈迦の弟子目蓮(もくれん)が釈迦の教えに従って、7月15日に亡くなった母親の供養を行ったところ、餓鬼道に落ちて苦しんでいた母親を救う事ができたという仏教の故事からきています。「盆」というのは供養に用いた「盆」からこの呼び名がきています。
盆という言葉はインドの古い言葉である梵語(ぼんごサンスクリット語)のウランバナを漢字に写した盂蘭盆(うらぼん)の最後の一字をとったものです。
お盆に提灯を飾る風習は鎌倉時代の「明月記」に寛喜2年(1230年)七月十四日に京都で精霊迎えのため、高灯篭が用いられたとあります。当時の盆提灯は高灯篭といって庭先や門口屋根の上に高い竿をたてて、その先に付けて精霊の送迎の目印にしました。
盂蘭盆行事がわが国の朝廷で行われたのは推古天皇(606年)14年7月15日斎会を設けたのが初めてとされ、斎明天皇(657年)3年7月15日飛鳥寺で盂蘭盆会が催されたとあります。江戸時代以前のお盆行事は武家、貴族、僧侶、宮廷の上層階級で主に催され、一般庶民に広まったのは江戸時代のようです。江戸時代に入ると庶民の間にも仏壇やお盆行事が普及し、又、ローソクが大量生産によって安価に入手できるようになってから提灯がお盆にも広く用いられるようになりました。毎年7月13日〜16迄が一般的ですが、「月おくれ盆」といって1ヶ月おくれの8月13日〜16日に行われるところもあります。関東方面(東京・静岡・名古屋)は7月。その他の地区(函館・熊本を除く)は月おくれ盆。また今はほとんど聞かなくなりましたが、旧暦の7月(新暦の8月下旬)のところもあります。
12日夕刻か13日午前中に精霊棚や仏壇のおかざりとお供えをすませ、13日の夕刻、縁側の軒先か精霊棚のところに吊るされた盆堤灯に火をともします。そして家の門口や玄関で素焼の焙烙(ほうろく)にオガラを折ってつみ重ね、火をつけて燃し、その場で合掌します。これを迎え火といい、オガラを燃したその煙に乗って先祖の精霊が家に戻ってくるのを迎えます。
家に迎えた精霊を今度は送り火をたいてお墓に帰っていただきます。
迎え火をたいた同じ場所で16日(又は15日)オガラをつみ重ねて送り火をたきます。盆棚の飾り物や供物は盆舟に乗せ明かりをともし、川や海に流しましたが、現在では一部の地方以外は行われていません。
故人の死亡後はじめて迎える新盆の供養は丁重に営みます。
仏壇の前に精霊棚(しょうりょうだな)を設け、初物の農作物でつくったお供物(きゅうり・なす)を飾り、供養膳に精進料理を盛り、白玉・だんご・果物・故人の好物なども供えます。
なお、このお供物は墓前にも供えるので用意します。
また、お盆の間は精霊に自分の家を教えるために、仏壇のそばとか軒先に岐阜堤灯や新盆堤灯を飾るものとされています。
お盆の最後の日(一般には7月15日、旧暦では8月15日)に送り火をたき、霊を送り出して新盆の行事は終わります。(新盆がすんだら、白い新盆堤灯は寺へ納める風習のある地方もあります。)
※亡くなって49日(忌明日)がたたぬうちにお盆が来た時や、49日(忌明日)から幾日もたたぬ時は省略するのが普通です。
新盆を迎える家でととのえたり、親戚や知人から、お盆の前に贈られたりします。盆提灯は先方の家紋を入れて一対にして贈るのがもっとも丁寧ですし、新盆に限り白い提灯を使うのがしきたりでしたが、最近はそれほどする人は少ないようです。むしろいつまでも使える色物を贈るほうが喜ばれるでしょう。形や柄にきまりはありませんが、秋草模様など無難でしょう。なお、提灯を贈る場合は、先方の都合を考えて、一週間前には届くようにしましょう。
●天台宗・・・・・・・本尊 阿弥陀如来 本山 比叡山延暦寺 宗祖 最澄
●真言宗・・・・・・・本尊 大日如来 本山 高野山金剛峯寺 宗祖 空海
●浄土宗・・・・・・・本尊 阿弥陀如来 本山 知恩院 宗祖 法然
●浄土真宗・・・・・本尊 阿弥陀如来 本山 本願寺派 西本願寺 大谷派 東本願寺
●臨済宗・・・・・・・本尊 釈迦牟尼仏 本山 妙心寺、南禅寺、建長寺 開祖 栄西
円覚寺、建仁寺、その他
●曹洞宗・・・・・・・本尊 釈迦牟尼仏 本山 永平寺、総持寺 開祖 道元
●日蓮宗・・・・・・・本尊 大曼奈羅 本山 身廷山久遠寺 開祖 日蓮
(この欄、mr corporationより)
第19回参議院議員通常選挙
平成13年7月29日(日)投票
投票時間は午前7時から午後8時まで
投票所 第五吾嬬小学校 体育館
*投票総数101,236,029票
*投票率
選挙区56.44%
東京地方区(9,867,813票)
1,407,437 保 坂 三
蔵(自民党)
881,314 山 口 那津男(公明党)
759,110 鈴 木 寛(民主党)
630,196 緒 方 靖
夫(共産党)
(361,965) 遠藤宣彦(自由党) 比例区56.42%
全国第1位当選者
1,588,862 舛 添 要
一(自民党)
総当選者 | 選挙区 | 比例区 | 得票数 | 政党 | 個人 | 1位当選者 | ||
自民党 | 64 | 44 | 20 | 21,114,706 | 14,909,237 | 6,205,467 | 舛添 要一 | |
民主党 | 26 | 18 | 8 | 8,990,522 | 6,075,218 | 2,915,304 | 大橋 巨泉 | |
公明党 | 13 | 5 | 8 | 8,187,827 | 1,864,080 | 6,323,747 | 山本 香苗 | |
共産党 | 5 | 1 | 4 | 4,329,211 | 4,055,597 | 273,614 | 紙 智子 | |
自由党 | 6 | 2 | 4 | 4,227,148 | 3,639,501 | 587,647 | 西岡 武夫 | |
社民党 | 3 | 0 | 3 | 3,628,635 | 2,295,364 | 1,333,271 | 田島 陽子 | |
保守党 | 1 | 0 | 1 | 1,275,002 | 608,697 | 666,305 | 扇 千景 | |
無の会 | 0 | 0 | 0 | 157,204 | 133,600 | 23,604 | ||
二院ク | 0 | 0 | 0 | 669,872 | 373,777 | 296,095 | ||
自由連 | 0 | 0 | 0 | 0 | 780,390 | 399,886 | 380,504 | |
新 風 | 0 | 0 | 0 | 0 | 59,390 | 44,245 | 15,140 | |
女 性 | 0 | 0 | 0 | 0 | 469,692 | 381,452 | 88,240 | |
新社会 | 0 | 0 | 0 | 0 | 377,014 | 247,558 | 129,456 | |
希 望 | 0 | 0 | 0 | 0 | 474,886 | 108,819 | 366,067 | |
無所属 | 3 | 3 | 0 | |||||
さきがけ | ー | ー | ー |