11月の活動状況

花ことば

サザンカ(謙虚)。
北風の吹くころから咲き、
清純な花です、
日本原産であるだけに古風であり
初冬によく似合う花です。

誕生石

トパーズ

宝石ことば
友愛・希望
宝石からのメッセージ
幸福・友情・洞察力



育成委員会 幹部会 広報委員会
西八町会創立記念式典 役員会 墨田区環境功労者表彰
小学校統合問題会議 役員慰労会 防火研修会
向島警察防犯協議会 八広会忘年会 厚生委員会





 11月1日よりいよいよお年玉つき年賀はがきが売り出され、今年も残り少なくなってきたと1年間の短さを思い知る今日この頃です。

 今年度も、春の交通安全から始まり、総会、役員会、幹部会の会合を開き、衛生部の4回に濟る薬剤散布、交通部の春・秋の交通安全ほか、厚生部の敬老の日活動・反省会・盆踊り大会、青少年部のラジオ体操・子供会運動会・ニ中地区育成委員会ソフトボール大会・成人のお祝い、防災部の西八町会との合同防災訓練・区主催の防災訓練、広報部の年4回の広報紙発行、婦人部の公園清掃から始まり、あらゆる内外での活動、防犯部の年末夜警、最後に総務部の総括的で円滑な活動が町の活性化をもたらすものと信じています。
 26日には総合反省会がありましたので、私なりに見つめなおして見ました。

 



町会とは

 『自分たちの住んでいる地域の人たちが、あたたかい心と心のふれあいで、お互いに理解しあい、連帯意識をもって、快適でやすらぎとうるおいのある地域社会を創っていこうとする場であり、』地域の中で共通した問題は、みんなで力を合わせて解決していかなければ個人の生活はもちろんのこと、地域全体の生活もよくなりません。

 したがって、コミュニティづくりは、まず、地域の人たちがお互いに話し合い、交流していくことから始まります。コミュニティ活動とは、自分たちの地域社会を、快適で住みよいものにしていこうとする共同活動で、この共同活動で一番大切なことは、地域の人たちが、自主的かつ自発的に行わなければならないことです。

 町会には色々な人がいる。役職好きな人・文句ばかり言う人・かけ声ばかりの人・酒を飲むだけを楽しみにしている人と様々である。
人間観察をするには良い場所だが、これでは住民として困ってしまう。

 発会当初の町会は住民がいかに住みよく暮らせるかを第一に考え活動されたと思われる。
時代の移り変わりと共に町会の活動も変わらなくてはならないのだが、現在の町会を見ていると継続性にとらわれ過ぎて本来の町会のあり方を見失っているように思われる。

 町会役員と一般の住民とのギャップが生じているのも事実である。正直言って一般住民のほとんどが町会の活動を理解していない。

 近所の手前上、町会費を払っているのではないだろうか?
「町会役員は町会費で酒を飲んでる」とぐらいにしか見られていないのも現実である。

 町会活動は単なる行政の伝達係に過ぎない。
春・秋の交通安全運動が始まれば歩道にテントを張り、黄色い帽子をかぶった数人の人々がお茶をすすって雑談している。

 夏には薬剤散布、秋にはお祭り・防災訓練、暮れには、夜警(火の用心)と、全て本来の意味を考えずに形式的に行われている。

 ボランティアとは「自発的に」と言う意味で決して押しつけられたのでは無いはずだ。
受けた以上は一生懸命、町に尽くして欲しい。
 
 町会的なボランティアの考え方なら阪神淡路大震災や北陸の重油流出事故で活躍している本来のボランティアに申し訳ない。

 自主的に役員になる人がいないということは、自治・町会の存続を住民が必要としていないからであろう。

 日本の慣例で「個人の利益よりも公共の利益を優先する」と言われている。

 これからの自治・町会にとって必要な人材は、能力と実行力、自分の町を住みやすくするために力を注ぐ若さも有意義なことではないか。

 また、自治・町会側も全てを役員がするのでなく役員は企画・運営に専念し住民に職務を委ねる事も考えていかなければならない。
(自治・町会活動は仕事ではない・住民全ての参加が義務である)。
 
 いまだに町会長が町の名誉職だと考えている町や人がいる町会では、まだまだ遠い夜明けの話である。

 誤解されては困るが、決して町会がいらないと言ってるのではない。
必要だからこそ真剣に今一度考えて欲しいのである。これからの自治町会はもっと目に見えた活動をしなければ潰れてしまうであろう。

 特に自主的に新しい組織を作る時には町会自体がしっかりしていないと誰も協力してくれないであろう。



ボランティアとは

 「自主性」に多く依存し、問題解決あるいはニードへのかかわりが「継続性」をもっている
活動を中心に考える。


 ボランティアというと、「自分の時間や私財をなげうって、社会全体のため、人のために活動、する」
と思われ勝ちだが、いささか考え過ぎです。
 
 はじめから、社会をよくしようとして、それを実現させるためにボランティアをしているという
人はあまりいません。
 
 それでは、ボランティアとはどのようなものでしょうか?

 ボランティア活動は、よく言われる印象よりも、もっと楽しく自由なものです。


「あなたのやろうとしていることは、本当にボランティア?」

1.見返りを目的にしない
ボランティアは基本的には無償です。ボランティアも活動によっては、交通費が支給
されたり、食事が出るところもあります。

   ボランティアは無償です。人の役にも立ちたいがお金も欲しいという人は、
ボランティアではなく、人のためになる仕事・アルバイトを探してください。

しかし、見返りを目的にはしていけません。
見返りがあるとすれば、楽しい気持ちになれたりといった、精神的なものです。

2.相手(対象)がいないとはじまらない
ボランティアも高齢者や障害者,または環境といった活動の対象を決めないと活動が
はじまりません。

すべての人に平等になんていうことは,ひとりの人にはできませんし、平等にしようと
するのであれば、何もしないことしかありません。

ボランティアは「すべての人に」ではなく、「特定の人の特定のニーズ」に答えるもの
です。

「すべての人に」した方がよいことは行政の仕事なのです。

3.好きであること
   自分が好き、やりたいと思ってはじめるのがボランティアです。誰かに言われて、
いやいや参加するのでは、相手側に対して失礼になります。自分が参加した
いと思って参加しているのであって、受け入れてもらっているという謙虚な態度で
参加しましょう。

ボランティアも、子どもが好き、自然が好き、人と話すことがすきということが大切です。
好きでないと続かないものです。自分が楽しくなければ相手を楽しませることはできま
せん。
4.独りよがりではいけない
ボランティアは「好きだから」というのが続ける理由だと思うのですが、相手がいるこ
となので自分だけの思い込みにならにように、相手の気持ちを理解することが大切
です。

これは、本人も気が付かないうちにおかしやすいことなので注意が必要です。
   独りよがりではいけない。「これをやれば絶対に役に立つ、喜んでもらえる」という
思い込みはありませんか。相手、対象あってのボランティアであることを忘れない。
 
5.つらいこともあるが、元気のもとになる
長く続けていれば、楽しいことばかりではなく、つらいことや うまくいかないことがあり
ます。
しかし、困難なことがあっても、それを乗り越えることで、充実感や連帯感が生まれて
くるものです。
そして、生活のはりや元気のもとになるのです。

 このように決して社会のために我慢して続けるものではありません。
自分の興味のあることに対して、「何かしたい、何かできないか」という気持ちが押さえら
れなくなったとき、我慢をせずに勇気を持って一歩を踏み出します。

 
 そのとき、あなたのボランティアがはじまります。

 「困っていたら手を貸す」という家族や友人に対しては当たり前のことを、少し視野を広
げて、地域の人、離れていても共感できる人にへと広げてする当たり前のことがボラン
ティア活動です。

 一言でいえば、「社会に開かれた、愛である」ということができるのではないでしょうか。



奉仕活動とは、

私たちは戦前の「勤労奉仕」を想起せざるを得ない。日本における「奉仕」は常に
「国への忠誠心」と一体となって叫ばれてきた。いわゆる「ボランテア」とは本質的
に違うのである。「徴兵制を想起する奉仕活動」ととらえるのはあながち極端な意見では
ない。この国は、憲法でいう「基本的人権、国民主権、平和主義」、さらにこの根底に流
れている「個人の尊厳」をないがしろにしてきたように思う。

 ・できる親切はみんなでしよう。それが社会の習慣となるように

 ・人を信じ、人を愛し、人に尽くす。




勤労感謝の日

 第二次世界大戦後まもない昭和23年(1948年)に制定されました。総理府によると、勤労感謝の日とは「勤労を尊び、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう日」となっています。

 この勤労感謝の日は、なぜ
1123日なのでしょうか。
もともと、11月23日は明治時代から終戦まで、
新嘗祭という天皇が儀式を行う日でした。
 
 新嘗祭とは、秋になってその年の収穫に感謝する行事です。新嘗とは新饗(にいあえ)の意味で、「新」は新しい穀物、「饗」はごちそうを表しています。
 
 その起源は古く、日本最古の歴史書『古事記』にも、記されているほどです。
 
 奈良時代からは、天皇が収穫した米を神殿にささげ、自分もその米を味わうというお祭をしていました。また全国各地でも、その土地の神社に、収穫された最初の米をおさめ、神様に感謝する祭事をしていました。

 終戦までの日本は、天皇が神様であると信じており、国民は大地の恵みを神々と天皇に感謝していました。しかし、現在は天皇も人間であり、国民主権の憲法によって、11月23日は「勤労感謝の日」と名前を変えたのです。

 ちなみに、アメリカにもこの時期、日本と同じようにサンクスギビング・デイ(感謝の日)があります。11月最後の木曜日に決められていて、今年は25日ですね。
 
 これは、17世紀にアメリカへ移民してきた人々が、思いがけない幸運でうえ死からのがれることができ、それを神に感謝したことから始まっています。
 
 この日アメリカ国民は仕事を休み、家族と七面鳥を焼いたりカボチャパイを食べて、お祝いするそうです。




しし座流星群ってなに?

 流星は、宇宙空間に漂っているチリが地球の大気に飛び込んできて摩擦熱によって発光する現象です。しし座流星群の場合、テンペル・タットル彗星から放出されたチリが流星の素になっています。放出されたチリは彗星の軌道に沿ってまき散らされていますが、この彗星の軌道と地球の軌道がもっとも近づくのが11月18日ごろなので、毎年この決まった時期に流星が見られるのです。流星の経路を結ぶと天の一点に集まりますが、この点(輻射点)がしし座にあるので「しし座流星群」と呼ばれるのです。

 彗星核から放出されたダストの中で、流星の素となる『ミリサイズ』の破片は、彗星核近傍にとどまり、放出時のスピードを得て、わずかに彗星核とは違う軌道をとり、しだいに彗星軌道上付近に拡散していく。この時、太陽接近時に彗星核から前方に放出されたチリは、加速され彗星核より大きな軌道となり、公転周期は長くなる。逆に後方に放出された場合は減速されて、軌道が小さくなり周期が短くなる。こうして、何回かの母彗星の回帰の後、彗星核のまわりに流星素物質の流れができる。さらに、流星の素となるチリは、彗星核からの放出スピードだけでなく、太陽からの光圧の影響を受け、わずかに軌道が外側に変化する。これによって、チリの軌道は、彗星核より大きくなる傾向があり、全体としては彗星核の前方より後方の方により多く分布することになる。これが、流星群の素となるチリの流れの形成過程であって、彗星核自体が地球近傍を通過する前後、とくに通過後2〜3年にわたって、流星群が大きな出現を見せる理由でもある。

 ちなみに、今回の母彗星の太陽接近に伴って放出されたチリは、まだ母彗星のごく近くにあって、母彗星から大きく拡散はしていない。今回大出現が期待されている「しし座流星群」の素となるチリは、数回前の太陽接近時に放出されたチリによるものだ。




七・五・三
子供の成長を祝う行事です)

 七・五・三では、千歳飴を食べます。千歳飴は、江戸時代の初め、浅草で飴売り八兵衛という人が「千年アメ」と名づけて売ったのが始まりといわれています。

 
千歳飴は水飴を適度に煮詰めた後、飴の中に気泡を入れながら加工した物で、このために色は白くなり、量も増え、風味がよくなります・赤く着色した物と組み合わせて紅白の飴を、長寿を願って鶴や亀が描かれた袋に入れます。

 通過儀礼の一つ。男性、女性ともに3歳、5歳、7歳までは、産土の神々に護られて育つ。この産土の神に子供の成長を感謝して無事を祈るのが古来よりの慣わしとなっている。
「氏神」とは字の如く、本来は一族の守り神でした。
 
 代表的なものでは藤原氏の春日神社、源氏の八幡宮などがそれです。これが、時代とともに、その土地の守り神となりました。同様な意味合いを持つ言葉には「産土神(うぶすながみ)」「鎮守神(ちんじゅがみ)」などがあります。それぞれは微妙に違う意味を内包していますが、今日では、ほぼ同義語的に使われています。


 この神さまに守られた一定の地域に住む人を「氏子」と言います。

 氏子は神さまのお陰を戴きつつ日々を送り、祈念や感謝の気持ちをこめて祭典を勤めます。
氏神さまは氏子の発展を一番お喜びになります。

 一般的に男児は3歳と5歳、女児は3歳と7歳の年の11月頃に神社に参拝し、お祝いする人生儀礼です。

 古くは、
平安時代は、男女ともに生まれて7日目に産毛を剃り、3歳まで 坊主頭で、3歳の春から髪をのばし始めました。男女とも3歳になるとそれまで整えていた頭髪をたくわえはじめる「髪置の祝」、碁盤の上に子供をのせ、髪置親をたて、白いすが糸で作った かずらをかぶせて
「髪置の儀」を行い、その後、最初はおかっぱに、 前髪がのびてくると振り分けに、女子はやがて振り分けの 「おすべらかし」となり、以後は、夫に先立たれる事でも無ければ、 生涯髪を切りませんでした。

 室町時代に入ってからは、かなり複雑になり、日取りも1月15日に 定められ、対象年齢も公家は2歳、武家は3歳と決められました。

 平安時代、5歳の男児は初めて袴を着用する「袴着の祝」、7歳の女児は着物の付紐を取り、帯を使いはじめる「帯解の祝」等のお祝いの儀式を吉日を選び行っておりましたが、室町時代に11月15日と 定められ、江戸時代以降は、男子のみの風習となりました。

 これらの年齢は子供の発育の段階においても大切な時期で、3歳で言葉を理解し、5歳で知恵づき、7歳で歯が生えかわる時期でもあります。
七・五・三まいりでは、日頃のみ恵に感謝し、お子様の益々の無事成長をご家族お揃いで祈願します。(大体何処でも、お初穂料5,000円ぐらい)。

 

七・五・三」の起源は上記の様なもので、現在11月15日を中心に、 全国の社寺でお参りが行われていますが、江戸時代の風習にちなみ、 3歳の男子と女子、5歳の男子、7歳の女子がお参りをしています。

最近では、洋服姿の子供さんの姿も多く見られますが、 やはり男子の羽織と袴姿は一段とりりしく、女子の着物に祝い帯姿は 大変可愛らしく、子供ながらに誇らし気なうれしさが伝わってきます。


子供の着付け

 3才女児のお祝い着としては、肩揚げをした着物に、帯を結ばず「お被布( おひふ)」という朱赤のちゃんちゃんこ(洋風で言うとベストです。)の様なものを羽織るスタイルが一般的です。

 「お被布」の基本色は朱赤ですが、最近ではピンクや二色ボカシ、柄入りのものも出まわっています。

 おねえちゃんとお揃いで結び帯(すでに結んであるもの。)を結ぶ方もいらっしゃいますが、幼い3才児にはちょっと苦しそうなので、着用時間が短くなる様に注意してあげて下さい。

 また「ポックリ」はころんで怪我をする危険性があるので、7歳のお祝いまでガマンして下さい。
 5才男児のお祝い着は、羽織袴のスタイルです。
男性の第一礼装である黒の紋付き袴、や「鷹」や「かぶと」といった勇ましい柄の入った「絵羽織 えばおり」に袴という格好で、着物、羽織ともに肩揚げが入ります。

男の子のお祝いは、5才の時だけなので、兄弟の関係などで、「まだ3才だけど今年一緒に・・・」という方も多い様です。

 身長の関係で羽織の丈を上げると羽織の中央に描かれた柄の位置をそこなわない様に注意し、出来れば小さなサイズの用意された衣裳店でのレンタルをお勧めします。

 初宮詣りの「おかけ」を5歳のお祝い着として使用される場合には、柄が袴の中に半分隠れてしまいおすすめしません。

 7才のお祝い着は、振り袖に肩揚げというスタイルで、帯も本格的な袋帯を結ぶ事になります。 (成人用の振り袖とは袖の丈や帯の幅等が違いますが・・・。)

 帯まわりにはカラフルな帯揚げに「志古貴 しごき」が加わり、「 晴れ着 」の華やかさを実感させてくれます。

 洋服の時にはちょっと・・・という大胆な色合わせも和装なら実に見事に合ってしまうもので、色合わせ自由、でもそれだけにセンスが勝負の着物の世界をおたのしみ下さい。