10月の活動状況

リンドウ。
日本の秋を代表する花、
(淋しい愛情)白色やピンクも栽培され、
吸い込まれそうな青い花には
郷愁が漂います。


誕生石
オパール
宝石ことば
希望・無邪気・克服
宝石からのメッセージ
名誉の保護・心眼



小学校統合委員会 育成委員会 防犯座談会
防災講習会 掲示板点検 幹部会
庚申講祭交通整理 朝鮮学校オモニ会 子供会運動会
総務・厚生合同委員会



 今月は日本の気象庁が、気温の統計を取り始めてから、10月の最高気温が25℃を越える
夏日が延べ12日間有り、新記録だったというニュースを聞くまでもなく、暑苦しい日々だった。
 世界では、相変わらず物騒なニュースでいっぱいだ。ロシアではオペラ劇場にチェチェン人の
軍人や内乱で未亡人なった女性を含め50人以上が占拠して、たてこもりに、手を焼いたロシ
ア政府が特殊部隊の突入に先立ち毒ガスをエアコンや通風孔から入れて占拠していたテロや
観客を含めて150人以上が犠牲になった事件やインドネシアのバリ島など、昨年のアメリカの
同じテロ以後世界はやたらと騒々しくなった。
 アメリカは、どさくさにまぎれてイラクに攻撃を仕掛けようと、てぐすねを引いて待ち構えている
し、やたらと、暗い話ばかりだ。
 日本の景気も大企業だけが、リストラの進んだ会社だけが黒字化したと報じられているが、
下々は悪くなることはあっても、良くなることはない、最悪の状態だ。
 北朝鮮に拉致された大勢の人の中で、生存していた5名の人が、やっと日本政府の重い腰
が上がり、首尾よく戻ってきた。本人、家族、政府3者の意見が一致し、そのまま日本に留まり
残された家族も呼び戻す交渉をはじめることになっだが、はて、お立会い、何処まで政府は本
気なのか見守りたい。
 早い解決を望みたい。

安政の大地震(1855)

 安政2年10月2日(西暦1855年11月11日)夜十時頃、八丈島付近を震源とするM6.9の
地震が発生。
 世界最大級の都市・江戸が大きく揺れました。地震自体による被害はそう大きくなかったもの
と推定されますが、直後に多数の火災が発生、大きな火事となって死者は4000人(1万人とも
20万人と書いてある本もあるがそれは恐らく誇大。振袖火事でも10万人です)に達しました。
 この安政江戸地震を一般に「安政の大地震」と呼んでいますが地震の規模からいくと前年の
3連地震の方が巨大でした。

 安政元年11月4日 M8.4震源=遠州灘沖(愛知・静岡の南)『安政東海大地震』
 安政元年11月5日 M8.4震源=潮岬沖 (和歌山・徳島の南)『安政南海大地震』
 安政元年11月7日 M7.4震源=豊予海峡(大分と愛媛の間)

 恐ろしいことにわずか4日間のあいだに巨大地震が3つも起きました。近畿地方では4日の
地震の直後に5日の地震、四国地方では5日の地震の直後に7日の地震が起きていて、いづ
れも両方の地震の被害が区別できないほどです。この3つの地震の死者は合計で軽く1万人
を越えているのではないかと思われます。
 さて、安政江戸大地震では、大都市の地震だけにたくさんの瓦版がつくられ、また震災前後
の話を収録した地震誌も多数出ているようです。その中にはたとえば次のような予兆現象など
も記されています。
 地震の4〜5日前に浅草で突然地下水が湧き出した。前夜と当日朝に地震雲が観測された。
 この地震の1月ほど前、黒船来航に揺れて社会的にも不穏な世の中の行く末を見極めよう
と易の卦を立てた人物がいました。出た卦は「離為火」。
 火事だ。そう直観した彼は材木の大量買い付けに走ります。そして1ヶ月後、占い通り火事
が起きて彼が買った材木はきれいに売れてしまいました。これによって大きな富を得た彼は、
その後鉄道事業・旅館経営などで更に資産を形成していきます。また彼は旅館の関係で明治
政府の要人たちと知り合うようになり、結果的には明治政府のブレーンの一人となりました。
 彼の名前は高島嘉右衛門。明治の易聖と言われ、彼の名前は現在でも多くの占い鑑定所・
運勢暦出版社がそれを冠にしています。
(実際には全て高島嘉右衛門とは無関係です。)