11月の活動状況








広報委員会 防災委員会 厚生委員会
役員会 防犯座談会 墨田功労者表彰式









 災害立国日本は、毎日全国津々浦々で発生した悲しい災害で多くの住人が泣かされている。先月23日夕刻に発生した新潟県中越地震の被害復旧作業は、ますます広がりを見せている。死者40人、負傷者4,000人全半壊建物13,000棟、一時避難生活者は100,000人を超えた。ひと部落では済まず山古志村のように地震災害で全村移転しなければならないという不遇と、しのび難さの惨事に手を拱いて、何処から手を付けたらいいのか頭を抱えてうろたえている昨今である。
 
 10月こそ冷え込んだ気温も、何とか暖冬のおかげで寒さを凌いでいるが、早く全半壊した家屋の取り壊し、後片付けを済まさないと豪雪地帯の雪の重みで押しつぶされて、使い物にはなりかねないと心配をしながらも、一方で長岡市は仮設住宅の建設に着手し始めた。

 今月の暖冬は、東京では、11月の平均気温としては記録を取り出してから一番高い記録になった。一般には高気温の時には意外な現象が起きると一部では気にしているようだが、今の所平穏無事である。

 全国で平年を上回りました。特に東日本、西日本、南西諸島では平年を2℃以上上回り、九州では平年を3℃以上上回ったところがありました。

 町は1年間の役員活動の締めくくりとして反省会が、八広あおぎり集会所で70数名の役員が集まり、事業活動の発表が9事業部の各部長から自信に満ち満ちた報告を了承し、続いて行われた2部の懇親会ではカラオケや抽選会が遅くまで繰り広げられた。








 『かぶ』というと、まず野菜の『蕪』、株式投資の『株券』、商売を始めるにも業種によっては『株』と、いろいろ頭の中に浮かんでくると思いますが、私事で申し訳ありませんが、家を建て替えるということで解体して、生まれて初めて間借り生活を始めましたが、生憎、風呂付でなかったので近くの銭湯へ行く破目になった。

 ところが湯上りで体を冷やす間に、脱衣場のボックスの上に1010という小冊子があり、それを読むと銭湯にも『株』があることを知りました。

 1800年代、『湯屋の株=営業権』の売買を生業として営んで商売も成り立っていたという。そのころの湯屋株の譲渡価格は300〜500両、高価なものは、1000両(米価を基準に算出してみると江戸中〜後期の1両は3〜5万円に相当)もした。

 江戸期、庶民層は内風呂を持っていなかったし、当時、湯屋株数は523と決まっていたので、湯屋は実入りが大きい商売として魅力があった。

 株といえば現在もその価値が重宝されている業界がある。『大相撲』である。大相撲では現在でも『年寄名跡=親方株』というものが存在し、親方になるにはこの株が必要とされる。この親方株は定数105、それに一代年寄りの『大鵬』、『北の湖』、『貴乃花』を加え108しかない。

 力士を辞めるとき親方株を取得していなければ『廃業』、取得していれば『引退』となるが前者と後者では大きな差がある。すなわち株を取得した力士は日本相撲協会の評議委員となり、定年まで協会から給与が支給される。また、大きな収入を得ることが出来る引退興行は、親方株を持つ力士のみが持つ特権である。このような財産的価値を持つ親方株ゆえに数億円で売買されているという。

 話はそれるが、大相撲も銭湯同様、北陸と縁が深い。江戸大相撲は、津軽の鬼来崎岩右衛門が藩主の許可を得て始めた『越中相撲』を端緒に、富山から江戸へ多数の力士が送り込まれた。以後、横綱『梅ヶ谷』、『太刀山』、が誕生し一時期は幕内上位を独占し、それに刺激を受けた北陸各県からも大勢の力士が誕生『羽黒山』、『双羽黒』、『豊山』、『輪島』、『出島』などが輩出し大相撲発展の礎となった。

 さて、大相撲の力士は平成6年の943人をピークに平成16年秋には692人に減少。本場所も空席が目立ち、人気も下降気味であるが、やはり花形力士の少なさが原因かも。銭湯同様、時代の変化の狭間にある悩み深き業界なのだろうか。