大相撲



 先場所に引き続き大関朝青龍が2場所連続優勝で外人力士として3人目の横綱に昇進しました。何といっても残念なのは先場所同様に2横綱の内、貴乃花が初日から「よたよた」と頼りない相撲を取っていたが初日、若の里、2日目元大関雅山戦には勝ったが、最初の1番では雅山の「2丁投げ」という珍しい決まり手で土俵に落ち左肩鎖じん帯を痛め、行司軍配は雅山に挙がったが「ものいい」がつき検査役が協議の結果「取り直し」と決まり、再度土俵に上がり貴乃花が痛めた左から「上手投げ」で勝ちはしたが、あくる日から休場となり旭天鵬に不戦負け、2日間休場し横綱(東富士)では49年ぶりとなる異例の再出場して決死の土俵を展開し、闘牙、土佐ノ海に勝ち期待されたが、7日目は、ここ暫く平幕で頑張っている今場所好調な元大関出島に「わたしこみ」で敗れ、8日目、前日大関武双山に左ひじを決められて痛めた左腕でがっちりとまわしをつかみ、強引に相手を後ろ向きさせて、5秒4の「送り出し」で一方的な相撲を取らせてしまった安美錦に敗れ2日続きの金星を与え「不惜身命」の精神で土俵を守ろうとしたが、手足をもがれて仕舞った横綱には、何の力も発揮できず「引退」に追い込まれた。これで花田家の人気力士(初代若ノ花、初代貴ノ花、3代目若乃花、2代目貴乃花)の引退で、それでなくても相撲人気が下降線の国技館、次の一手は押し寄せる外国人力士にペリーの黒船同様、開国し頼るしかないのか大勢の上位力士(横綱武蔵丸、大関千代大海、魁皇、途中から大関栃東、前頭筆頭雅山、12枚目玉春日)の休場者を出さない様に様々な努力をして上位力士の対戦を多くするか果ては肉体を作り直して昔のような柔らかい筋肉で怪我をし難い力士を育てるしかない。
 寂しい話しはこの位で朝青龍が先月29日、第68代横綱に昇進した。モンゴル出身の22歳。本名はドルゴルスレン・ダグワドルジ。外国出身力士が横網になるのは、曙(引退して一代親方の曙)現役の武蔵丸に続いて3人目です。貴乃花が引退したため、次の春場所では初めて、東西2人の横網が武蔵丸、朝青龍という外国出身の力士になる。大相撲の世界にも国際化の波が押し寄せてくる。
 外国人力士が大相撲に登場したのは1934年、当時の春日野部屋に入門したアメリカ・ロスアンゼルス出身の二世、平賀将司という人が最初でした。第2次世界大戦の前には七人の外国人力士がいました。
 戦争が終わり、1964年にはアメリカのハワイからやって来た高見山が高砂部屋に入り「ジェシー」と親しまれ、1972年の名古屋場所では13勝2敗という成績をあげ、外国人力士として初めて幕内で優勝した。
 その時は、当時のニクソン・アメリカ大統領からお祝いのメッセージが届き、土俵の上で読み上げられ、高見山は関脇まで上がり、今は東関親方として若い力士を育てている。
 高見山に続くハワイ出身の力士は、元大関の小錦で、最高284kgの体重と力強い突っ張りで、幕内で3回優勝し、横網や大関を倒した力士に贈られる「殊勲賞」を4回、場所を盛り上げた力士に贈られる「敢闘賞」を5回貰いました。
 今ではKONISHIKIという名前でタレントになり、テレビのコマーシャルなどで人気を集めているがもともとはハワイの出身です。
 ところで、今年の初場所では、1番位が高い横網から最下位の序の口までの中に、11カ国、51人の外国出身力士がいる。50人を超えたのは、相撲史上で初めてのことで、674人の力士の中で7.6%を占めている。
 序の口、序二段、三段目、幕下、十両、幕内と上がっていく大相撲の中で、外国出身力士は幕内に5人、十両に1人、幕下以下に45人いる。
 1999年の初場所では幕内3人を含めて全部で14人でしたから、わずか4年で4倍近くに増えました。
かっては、ハワイ出身などアメリカの力士が中心でしたが、最近は朝青龍と同じモンゴル出身者が増えている。
 外国出身力士51人の内、モンゴル出身者は31人に上り、モンゴルは中国の北にある草原の国で、13世紀にはチンギス・ハーンが大帝国築き、日本の相撲に似た「モンゴル相撲」が盛んで、そのために入門者が多い。
 次に多いのはロシア出身で、阿夢露、大露羅ら4人がいる。そしてブラジル出身は東旺ら3人、韓国は春日王ら2人、中国は仲の国ら2人、アルゼンチンは星誕期、チェコは隆の山が頑張っている。初場所では幕下でグルジアの黒海が、序の口はブルガリアの琴欧州がそれぞれ優勝した。
 外国人力士にとって、言葉も生活習慣も違い、昔から決まりが多い相撲の世界に入るのは、とても大変なことだった。戦後初の外国人力士だった高見山も、日本語や日本の生活習慣が分からず、とても苦労したようだ。朝早くから厳しい稽古があり、先輩の世話や部屋の掃除もしなければならなかった。高見山は涙が出ると「目から出る汗」と自分に言い聞かせ、稽古に打ちこんだそうです。
 武蔵丸は18歳で入門したが、相撲部屋では年が下でも自分より入門の早い力士が先輩で、いうことを聞かなくてはならないことが嫌だったと大関になってから新聞記者のインタビューに「年下の命令を聞かなければならないといわれて腹が立ったが、我慢して稽古に励んだ」と答えている。
 土俵の上では先輩、後輩の区別はなく、強ければドンドン先輩を追い抜いて行ける。それが「出世」で、武蔵丸は出世を目標に、頑張ってきたといっている。
 大相撲をおこなっている「日本相撲協会」は1992年、親方たちの話し合いで「外国人力士は一つの部屋で2人までで、全体で40人とする」決めたが、2002年2月、53ある部屋が平等に外国人力士を入門させるできるよう「一部屋1人」に決め、外国人にとっては相撲の世界に入りやすくなり、より活躍できる環境が整いました。
 また、引退した力士のうち頑張って活躍した力士には「年寄」という資格が与えられ、年寄になると親方として若い力士に相撲を教え、日本相撲協会の色々な仕事につき、力士にとって、とても名誉なことです。
 年寄は105人いて、「年寄名跡」という決まった名前を受け継ぎますが、横網になって活躍した力士で、相撲発展に尽くしたと協会が認めた場合は、特別に「一代年寄」として、力士の名前のまま親方になることができる。
 一代年寄はこれまで、優勝32回の大鵬、24回の北の湖の2人しかいませんでしたが、初場所で引退した貴乃花が3人目になることが決まりました。
 外国出身で一代年寄になった力士はいませんが、武蔵丸や朝青龍も優勝を重ねて活躍すれば、初の一代年寄になるかも知れない。
 国際化の波に負けないように日本人力士も奮起し、貴乃花のような、人気力士が早く大相撲に登場するよう願っています。もっともっと日本の国技を面白く見たいものだ。