荒川下流視察
(平成25年8月21日・水)


 



 国土交通省・荒川下流河川事務所の案内で堀切リバーステーションからマイクロバスに乗り足立リバーステーションまで行った。地元から数台の車に分乗し堀切リバーステーションに到着。しかしながら大潮で水位が低く、ここからの乗船はできなかった。こんなことでいいのかという疑問を持ちながら差し回しのマイクロバスに乗り込み足立リバーステーションに向かった。ここで国交省の27d余りの“あらかわ”号に乗船、千住新橋の上流でUターンして下流に向かい堀切リバーステーションを船上で眺め、荒川に架かる京成本線鉄橋・堀切橋・首都高速6号線・新旧四ツ木橋などの下をくぐり、地元が切望する場所が見え出した。行政の説明ではこの辺りは砂溜まりという地形でリバーステーションには適しないという話だったが、水戸街道や京成電車の八広駅など人や物資の移動には好都合で、ここをさし置いて、これほどの適地は見当たらない。
 この一帯に造られることは決定しているが、具体的な場所選定にはまだ至っていないが、足立リバーステーションと同じ様式の固定式が造られる。
 京成押上線鉄橋・木根川橋・木下川水門、平井橋の手前には平井リバーステーションがある。ここは浮き桟橋になっている。JR総武線鉄橋・小松川橋・首都高速7号線、この辺りを過ぎると川幅は一段と広く、あらかわ号はスピード増した。両側の土手は普段土手下から見るよりも低く感じたが、マンションや高いビル以外は目に入らない。
 この間3箇所のリバーステーションを見る限り国道と鉄道の間に挟まれた箇所に設置されていることがわかった。その経緯はわからないが、八広地域も水戸街道の新旧四ツ木橋と京成電鉄鉄橋、そして木根川橋の間を地元の町会は切望しているわけで、他の箇所と比べても大変理に適っているように思われる。
 船堀橋・都営新宿線下をくぐると荒川ロックゲートが見え、静々とゲートが上がり前に進んだ。水位計は0.5bだった。荒川のゲートが閉まり、そして、旧中川のゲートが操作され、水位はマイナス0.5bよりわずかに下がると内側のゲートは上がった。中川と小名木川の合流でUターンして先ほどとは反対の操作が行われ荒川に出て足立リバーステーションに戻り、地元に帰ってきた。
 その昔水面下だったこの地も利根川をはじめ多くの河川からの流れが上流より土砂を運び中州ができ、次第に陸地を造り、人々が住み始めた。江戸期以降人口も増え、火事と喧嘩は江戸の華などいわれた時代から明治に入ると河川の氾濫は夥しく、荒川放水路の建設が100年程前から始まり、子どもの頃からこの川で親しみ遊んできた。
 今でこそ悠久の流れのごとき風情を醸している荒川も防災には、なくてはならない河川の一つとなっている。2年半前の東日本大震災のような津波が発生したら、もろくも崩れ去るかも知れないが、火災に対してはその威力を発揮するだろう。
 関東大震災・第二次世界大戦の空襲などを思い起こせば、如何に火災での死傷者の被害が大きかったことか。今でも昨日のことのように思い浮かぶ。両国の被服廠へ着の身着の儘
押しかけ犠牲になった人々の多かったこと、想像を超える火炎に狭い場所に入れるだけ入って全滅する悲惨な光景は、二度と繰り返してはいけません。
 犠牲者が出てから後追い工事でお茶を濁すやり方は、情けないの一言!すべて満足できることはありえないが、少しでも犠牲者の少ない世の中にしたものです。そして避難ルートは複数あることが望ましい。このことからも道路・鉄道・河川・空と課題はあっても素早く克服したいものです。