比例区当選者
東京都



民主党  8名   (得票数 2,291,124票)


うさみ のぼる
宇佐美 登 1967年2月16日(36才) 東京都第4区 2回 77,953票(小選挙区)
<略歴・現職>
昭和42年 
東京都大田区にて3人兄弟の3男として生まれる、父は町工場を経営、母は洋裁の先生
昭和48年 
大田区立雪谷小学校少年野球と家(町工場)の手伝いで毎日を過ごす運動会で応援団長に
       
このころ覚えたけん玉とそろばんは今でも得意
昭和54年 
大田区立雪谷中学校陸上部では走り高跳び、野球部ではセカンドに挑戦アマチュア無線やパソコンにも熱中
昭和57年 
早稲田大学高等学院、バドミントン部で都ベスト8に、六法全書に心理学や哲学、純文学からSFまで乱読
昭和60年 
早稲田大学理工学部機械工学科大好きな「モノづくり」がしたくて入学、運良く4年で卒業、
       
人工心臓やストレスの研究などの医療工学を専攻、日本機械学会、人工臓器学会、ME学会に所属
平成 元年
財団法人松下政経塾(10期生)ワシントンDCのシンクタンクで国際環境政策の研究、
         各国の環境NGOを訪問。世界中に環境政策の仲間ができる
平成 4年 
代議士秘書
平成 5年 7月
第40回衆議院選挙にて26才で初当選公示3日前に出馬を決断、1日40キロ、2週間で500キロを歩き続けて政策を訴える
平成12年 6月、民主党
の公認を受け東京4区から国政にするも惜敗
平成15年 11月、
第43回衆議院選挙で当選
        12月、
衆議院内閣委員会筆頭理事
政策

1・
地域が独自性を発揮できるように、国と地方の役割分担を変える
地方議会の予算提案権や住民投票制度を確立して、住んでいる人が主役になれる地方分権社会を目指します
国の仕事は外交、防衛、司法などに限定して効率的で小さな政府に改革します
2・効率の良い行政を行うために、国の財政構造を見直す
行政の評価制度を導入して、税金が効果的に使われるよう厳重に監視できる体制にします
国の財政に企業会計の手法を導入。連結決算や時価評価で債務超過となる事業を整理します
自然環境、効率性などの視点から、公共事業を途中の段階でも再評価する仕組みをつくり、必要な公共事業だけに積極投資する構造にします
3・
「将来」の不安を取り除くことで、景気回復を加速させる
基礎年金の財源を全額税方式に転換し、安心感のある年金制度に改革します
携帯電話・インターネットなどの情報通信料金の引き下げ、その利用を拡大することで、女性・高齢者・障害者が在宅でも働ける雇用環境を整備します
課税最低限を見直して、サラリーマン向けの住宅ローン軽減策を実施します
4・
有権者と政治家の距離を近づけ、参加意識を高める
総理大臣を国民の直接投票で選ぶ、首相公選制を導入します
5・
ゆとりある社会や人を育てる環境をつくり、将来に向けた投資をする
お母さんが働きながら子育てできる保育政策、労働政策を推進します
中高一貫体制によるゆとりある教育環境をつくり、選択幅の広い授業を増やすことで、子どもの個性を伸ばせる教育制度に改革します
社会への貢献活動がやりやすくなるように、NPOへの寄付金控除を実現します
仕事はもちろんのこと、趣味やボランティア活動を通じ、人生のチャンスが広がる生涯学習の機会を拡充します
「バリアフリー」社会の実現に向けて、道路や建物を重点的に整備します
6・
地球環境保全をODAの柱として確立。核不拡散で世界をリードします
太陽熱、風力、燃料電池など、再生可能エネルギー源の開発に重点投資します
羽田空港を騒音なき国際空港化し、東京=アジア主要都市間を「日帰り出張圏」にします。 さらに世界的水準にあるものづくり地域「オオタ」と国際市場を直結し、アジアの物流・産業拠点として、自然環境や住環境と調和したまちづくりで地域を活性化していきます


さめしま むねあき
鮫島 宗明 1943年12月日(60才) 東京都第10区 3回  77,417票(小選挙区)
<略歴・現職> 
昭和18年 東京生まれ
        私立武蔵高校卒業
        東京大学農学部卒業
        大学院博士課終了
        衆議院議員
政策
気体エネルギー(水素・天然ガス)社会の構築に向けて
 
さめじまは、天然ガスへの転換で地球温暖化ガスを削減する独自の案を作り、ボンで開かれた国際会議(COP6再開会合)で発表しました。
さらに、環境にやさしい天然ガスや水素中心の社会に必要な、国土幹線ガスパイプラインの構築を構想、超党派の議員に呼びかけ「気体エネルギー議員連盟」を発足、実現をめざしています。
専門分野のバイオマス(生物系燃料)普及、食品廃棄物の燃料化にも尽力しています。
水と緑で都市環境の再生
現行の自然再生法では、公共事業による環境破壊をやめさせることはできません。
さめじまは、自然再生法を使い、公共事業で劣化した自然を再生しようと努力しています。
さらに、今後の環境破壊を防ぐ「環境アセスメント法案」を準備しています。
 さめじまは、都市の異常高温(ヒートアイランド現象)を解消する作業チームを党内で結成。失われた川や森を再生し、校庭や屋上も緑化する「水と緑の都市政策」を提言しています。
特別会計300兆円、官僚共和国にメス 
 国債発行三〇兆円という小泉総理の公約は、一般会計に限った話です。特別会計では、別途四〇兆円の国債が発行されて、七〇兆円というのが真実です。
 毎年、八〇兆円規模と報道される予算ですが、この一般会計の他に、三〇〇兆円の巨大支出がある特別会計という予算が各省庁ごとに張り付いています。
 わが国GDPの六割にもなる特別会計こそ、省庁の利権「日本官僚共和国」の正体です。
国の機関が続々と独立行政法人になっています。行革とは名ばかりで、人も減っていません。各機関はかえって自由裁量が増えて喜んでいます。
さめじまは、予算や人員が、かえって増加しているのを指摘、「焼け太り」と戦っています。
百年マンションで豊さを実感できる社会を
 日本のマンションは、大半が急ごしらえ。三五年で老朽化し、建て直しが必要になります。
私たちが豊かさを感じられないのは、一世代マンションで全ての人がローン地獄を体験させられるからです。マンションが欧米なみに百年(三世代)持てば、古くなっても価値は下がりません。
 コンクリートの躯体の外側を断熱する「外断熱」では、躯体が、気温の変化や風雨にさらされないため、長持ちします。
また、配管類の補修や、間取りの変更が容易な「スケルトンインフィル」構造にすれば、躯体の寿命が尽きるまで使えます。
まもなく、大量のマンションが立て替え期にさしかかります。
豊かな暮らしのために、百年マンションへの転換を進めます。
安心できる「食」「水」の提供
 BSE(狂牛病)によって、わが国の「食の安全」への信頼は失われました。
さめじまが「BSE対策法」を起草し、野党四党が共同提案、政府も協調し、BSE法が成立しました。
 さらに、食品安全行政のあり方を定める食品安全基本法の制定に加わり、六割を占める輸入食品の安全も、きちんと確保するように修正しました。
 界から羨まれていた日本の水ですが、水源池でのアオコの発生、生活雑排水の流入で、水質悪化の機危機に瀕しています。他方、各自治体が渇水期に備えて過剰な水源を確保しているために、普段は大量の上水を捨てています。
都市間をパイプラインで結び、水を供給し合えば、水のムダがなくなります。また、浄水場の高度化で、水質は確保できます。
安心な年金・医療制度にモデルチェンジ
 年金の財源を税金で賄う安心な年金制度に改めます。医療制度の全体的な見直し、安価な医療に改めます。年金や医療に関わるムダ使いを徹底的に整理します。


ふじた ゆきひさ
藤田 幸久 1950年4月19日(53才) 東京都第12区 2回  95,110票(小選挙区)
<略歴・現職>
1950年 茨城県に生まれる。
1969年 茨城県立水戸第一高校卒業。
1975年 慶応義塾大学文学部哲学科卒業。MRA国際親善使節「ソング・オブ・アジア」(Song of Asia)に参加、2年間にわたりアジア・大洋州の       青年50人と、100の家庭にホームステイをしながら世界14ヶ国を歴訪。以来42ヶ国を訪問し、約200軒の家庭でホームステイホームス       テイ。
1979年 難民を助ける会の創設に加わる。その後、常務理事。
1982年 東京12区(北区・足立区)に居住。以来、地元企業や街の活性化に取り組む。
1984年 国際MRA日本協会専務理事。現在、理事。
1996年 民主党から衆議院東京比例区で初当選。初の国際ボランティア出身政治家として活躍。(「対人地雷全面禁止推進議員連盟」事務局長と       して、小渕恵三外相らとともに、日本のオタワ条約調印を実現。衆議院予算委員、大蔵委員、安全保障委員、行政改革特別委員を歴       任。不良債権問題、官僚の天下りや不正を追及し改善させる。
その後、衆議院外務委員会理事、沖縄及び北方問題に関する特別委員。国際協力NGO活動推進議員連盟事務局長。対人地雷全面禁止推進議 員連盟事務局長。2000年第42回総選挙で、64,913票を獲得するが、次点となる。鳩山由紀夫代表政策顧問。
現在  民主党東京都第12区総支部長。岐阜女子大学客員教授。21世紀教育研究所理事。 国際MRA日本協会理事。
政策
 ムダな公共投資を
東京投資に転換
 事業継承支援と
中小”起業”支援による景気回復
 
医療・食料・教育消費税を非課税に!
 
道路特定財源を見直し首都高速料金を無料に!
 
二世議員に地盤相続税を課税。特殊法人と天下りに大ナタ
 
教育の自由化(幼児教育、フリースクール、サポート校支援)
 区への税源移譲と合併による
強い北区と足立区作り


いのうえ かずお
井上 和雄 1952年4月24日(51才) 東京都第14区 2回  63,385票(小選挙区)
<略歴・現職>
1952年 生まれ 51歳
学  歴  東京教育大学(現筑波大)附属高校卒
       東京大学教育学部卒 
       東京大学大学院修士号取得
       米国オレゴン大学教育学修士号取得
       米国コロンビア大学院博士課程留学 
職  歴  国連ユニセフ職員(12年間)
       平成12年総選挙初当選 
国会の役職 衆議院議員
           国土交通委員、決算行政監視委員、内閣委員を歴任、財務金融委員(現在の所属)
党の役職 民主党国際局副局長、住宅政策ワーキングチーム事務局長、航空政策議員フォーラム事務局長、ヤミ金融対策チーム事務局長
       航空機内迷惑防止法制定ワーキングチーム事務局長
交通事故問題を考える国会議員の会事務局長(超党派)
世界の紛争予防と民主化支援を考える国会議員の会事務局長(超党派)
所属議員連盟 交通事故問題を考える国会議員の会
ユニセフ議員連盟 ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会 日本・インド友好議員連盟 日韓議員連盟
環境ホルモン・ダイオキシン問題にとりくむ議員連盟 平和的国際貢献を考える議員の会 校庭緑化(芝生化)推進議員連盟
チャイルドライン設立推進議員連盟 ゲートボール振興議員連盟 自然災害から国民を守る国会議員の会 予防外交推進国会議員連盟
ミャンマーの民主化を支援する議員連盟 国連難民高等弁務官事務所国会議員連盟 自然との共生を考える国会議員の会
民主党行政書士制度推進議員連盟民主党生活衛生振興議員懇談会
日本動物愛護協会・日本野鳥の会会員
趣  味 水泳・カラオケ
家  族 妻と長女
政策
経済再生・雇用創出で明るい日本!
子どもや高齢者を守る社会に!
税金の使い道を変えます!
安心・安全な暮らしを!


なかつがわ ひろさと
中津川 博郷 1949年4月12日(54才) 東京都第16区 2回  70,189票(小選挙区)
<略歴・現職>
1949年 4月14日生まれ
学   歴 早稲田大学文学部卒
現   職 中津義塾理事長・東京都青年文化協会顧問(障害者福祉団体)・江戸川稲門会顧問・全国新舞踊協会顧問・篠崎剣友会会長
所属委員会 平成12年7月〜農林水産委員会、商工委員会、災害対策特別委員会
平成13年1月〜経済産業委員会、災害対策特別委員会
好きな言葉 「夢・勇気・努力」
趣   味 プロレスリング観戦、カラオケ、将棋



いしげ えいこ
石毛 えい子 1938年8月12日(65才) 東京都第23区 3回  110,266票(小選挙区)
<略歴・現職>
1938年 8月12日 千葉県生まれ
1961年 日本女子大学文学部社会福祉学科卒業

1963年 3月、日本女子大学家政経済学科研究生終了
       その後、母病気の為郷里に戻りほぼ2年間家事従事
1965年〜労働経済関係の調査研究所勤務
1967年 4月、飯田女子短期大学勤務
1990年〜1996年町田市で高齢社会対策検討委員会委員(委員長代理)
1992年〜1998年「アビリティクラブたすけあい」理事長
1997年 3月、飯田女子短期大学教授(社会政策、社会福祉行政論)で退職
       (この間、保育運動、障がい者運動、高齢者運動に取り組む、障害児を普通学校へ・全国連絡会、くらし変えたい連続行動、
       NO!寝たきりキャンペーン委員会などの市民活動に参加
1996年 10月、衆議院議員初当選(東京比例) 現在2期目
現   在 「市民福祉サポートセンター」メンバー、季刊『福祉労働』編集長
       衆議院厚生労働委員会委員、衆議院内閣委員会委員、衆議院個人情報の保護に関する特別委員会委員
       民主党ネクストキャビネット(男女共同参画・人権・消費者・子ども政策担当大臣)、民主党NPO局長
政策
 
誰もが納得できる「年金制度」へと改革します。
  いま年金を受けている人の支給水準を維持し、女性や若者にも信頼される「新・年金制度」をつくります。
 「新しい働き方」を 法律でサポートします
  働く者の協同組合づくりをすすめる「ワーカーズ・コレクティブ法」をつくり、女性や若者、障害者、失業者、無業者が協同できる、新しい仕事や働  き方をすすめます。
 地域社会に「信頼のネットワーク」を築きます
  人と人との信頼をベースに「地域社会サービス法」をつくり、子どもや障害者、虐待を受けている人、困難な状態にある人を地域で支えます。
 「いじめや差別」は絶対に許しません
  ひずみは弱い立場の人に集中します。いじめや差別をなくす「差別禁止法」をつくります。
 「北東アジアの平和」を早急に築きます
  「戦後補償問題」にとりくみ、平和の礎を築きます。
 化学物質対策にとりくみます
  「化学物質」関係法を見直し、人工の化学物質の被害を未然に防ぎます。
 「生活優先空間」町田・多摩をつくります
  乱開発を防ぎ、集合住宅や通勤の問題解決に全力を尽くします。


高齢者介護…… 介護保険の使い勝手と質を確保
◎介護保険の実施に当たり、次の点を実現させました。
●介護保険事業計画作りへの市民の参加
●介護保険サービスを提供する事業者として特定非営利活動法人(NPO)の参入
●食事サービスなどの介護保険外のサービスも、介護予防・自立支援事業として制度化
 いま多くのNPOが、介護を受ける人の立場にたった質の高い介護を提供しています。
導入前に国会で、大勢の男性国会議員を前に15回も質問したかいがありました。
 導入後も現場からの訴えに基づき、介護報酬の見直しを実現。さらに身体拘束をゼロにする等の介護の質の向上や、保険料のあり方などを見直していきます。


食の安全……遺伝子組み換え食品の表示を義務化
◎食の安全は生命の安全に直結しています。消費者が自分で判断できるように食品表示がされなければなりません。遺伝子組み換え食品の表示を主張し続け、質問は13回。01年に義務化されましたが、いまだ「5%混入」は組み換えとはされず、もっと正確な表示を求めていく必要があります。わかりやすくウソのない「食の安全表示」を求めつづけます。


子どもの安全……安心して育つ・育てるための法的整備
◎青少年問題特別委員会での質問が「児童虐待防止法」の制定につながりました。
◎無認可保育施設での虐待死事件をきっかけに、行政が施設の開設を把握できるように届け出制とする「児童福祉法改正案」を提出、与党を先導しました。


住宅……居住の安定性を確保
◎安心して住み続けられるよう、公団住宅家賃ルールとして、居住の安定の確保を政府に約束させました。


交通バリアフリー……すべての駅施設のバリアフリー化を先導
◎移動制約者の移動の自由を保障する民主党の『交通バリアフリー法案』の作成に力を尽くしました。新設・既設を問わず、すべての駅施設のバリアフリー化、市民参加の保障、国の補助率4分の3の明記、などの民主党法案を2000年3月に衆議院提出。ほぼ同時期につくられた政府案を先導しました。付帯決議に盛り込まれた既設施設のバリアフリー化はいま各地で具体的に進められ、国の補助も明確になりました。


医療……個人単位の健康保険証を実現
◎健康保険証を個人単位にと主張、今年度から実施になりました。
◎「医療費負担の減額基準を老齢福祉年金におく」高齢者医療負担のあり方について、再考を促しつづけました。


プライバシー……自分の情報は自分で管理する権利を主張
◎『個人情報保護法案』においては、医療や金融などのセンシティブ情報について、個別法の制定を「早急に検討」と付帯決議に入れさせました。


障害者……障害者の主張実現に寄与
障害者の主張に耳を傾け、一緒に制度・政策をつくってきました。「障害者だからダメ」は許しません。
現在、「障害者基本法」の改定にも取り組んでいます。
◎「欠格条項」の廃止・改正を求め、一定の仕事や資格、場所から障害者を排除していた法律の廃止や是正を積極的に働きかけました。また民法を改正し、聴覚障害者が公正証書遺言をつくることを可能にしました。
◎今年4月から支援費制度がスタート。介助と収入の確保を求め、減らされそうだったホームヘルパーの派遣時間を「個人について実質的に従前と同等」と政府に約束させました。
◎職場で援助してくれる人がいれば知的障害者はもっと就職できることを指摘し、ジョブコーチ制度化で就職の拡大への道をつけました。
◎障害のある子も無い子も一緒に学ぶ統合教育の必要性を訴え続け、小・中学校への障害児の入学が一部制度化されました。


女性…… 年金権の確立を求め、女性の視点で少子化社会対策基本法を修正
◎年金は世帯単位でなく個人単位にすべきと主張しつづけています。
◎「少子化社会対策基本法」で、リ・プロダクティブ・ヘルス&ライツに即した修正を実現しました。
◎選択的夫婦別姓の実現をたびたび要請、いまだ力およばずです。
◎男女共同参画社会基本法で、女性が差別的な扱いを受けたとき、これを是正させる力を持つ独立した人権救済機関が必要と主張しました。
◎DV法(配偶者暴力防止法)では、福祉と連携して被害者を有効に救済できるような規定を求めました。


NPO……支援税制を実現
◎市民参画社会で大きな役割を担うNPOがもっと活躍できるように、超党派のNPO議連役員として支援税制を求め、NPOの活動分野を広げる法律改正をしました。


消費者……発言権を確保
◎食品安全基本法案に消費者の意見表明権の規定を求め、消費者の発言権を付帯決議で確保しました。


人権……『人間の安全保障』の追求
◎2001年南アフリカのダーバンで開催された国連の人種差別撤廃会議で、差別発言が容認されている日本の実情をスピーチ。マイノリティに対する差別を禁止する法律の必要性を訴えました。
◎元BC級戦犯や現在朝鮮半島に住む戦傷軍人に対する謝罪と補償について質問、「責任を持って結論を出す」と官房長官が答弁しました。


不正の追求……公正の回復に寄与
◎彩グループ事件に見られた公益法人の私物化、知的障害者への虐待・搾取、精神病院の医療費不正請求事件など、不正の構造を正すべく追求しました。


あくつ ゆきひこ
阿久津 幸彦 1956年6月26日(47才) 東京都第24区 2回  106733票(小選挙区)
<略歴・現職>
       10歳のとき、米国大統領J.F.ケネディの伝記を読み、政治家を志す。「あのころは肥満児でした。」
       中学ではバスケットボール部で部長として活躍する。 
       「高校ではなぜか帰宅部でした。」高校卒業後、単身渡米。
       ジョージ・ワシントン大学・大学院で国際政治学を専攻。特に中東問題の研究を手がける。国際政治学で修士の学位を取得。「生涯で一       番勉強した日々でした。」
       アメリカから帰国後、石原慎太郎氏の秘書として政治家への道のりの第一歩を踏み出す。第一秘書、政策担当秘書等を歴任(1984−       1993年)。
1991年  妻、由美子と結婚。媒酌人は石原慎太郎ご夫妻でした。『結婚は一種の賭け・・・』というフランスの哲学者ベルクソンの言葉を引用した       名スピーチは、今も私たち夫婦の胸に残っています。」
1993年  三鷹市から石原慎太郎代議士の秘書として、東京都議選に無所属で立候補する。俳優の舘ひろしさんも応援に駆けつけてくれ、三鷹市       はじまって以来の人々が街頭に参集するも票に結びつかず惨敗。
       (乳飲み子を抱え、妻と共に途方にくれる。「改めて選挙の厳しさを思い知らされました。」)
       選挙の惨敗で途方にくれていた時、菅直人代議士からの救いの手がさしのべられて、新党さきがけの政策調査会室に勤務。
       菅直人氏の片腕として政策委員をつとめ、政策立案に活躍する。
1996年  菅直人氏、鳩山由紀夫氏と共に民主党の結成に参加。民主党の公認で衆議院議員選挙に立候補。5万67票得るも落選し、涙を飲む。
       民主党東京事務局長に就任。毎日、党本部で事務作業をこなしながら、毎朝かかさず街頭に立ち、週末は一軒一軒支援者を訪ねて回       るという苦闘の日々を続ける。ここで市民の声を直接聞く事の大切さに気づき、タウン・ミーティングという市民との対話集会を継続的に       開催する。
2000年  衆議院選で初当選。(「努力が報われ、10万6292票という市民の皆様の熱いご期待を受け、当選させていただくことができました。」)
1年目は、国土交通委員会を中心に、ムダな公共事業を改める政策をつぎつぎに提言。一方、都市部インフラ整備の遅れを指摘し、「開かずの踏切」対策等、多摩地区交通網の整備に積極的に取り組む。
 「政治倫理の確立及び公職選挙法に関する特別委員会」では秘書経験を生かして、『あっせん利得処罰法』改正を実効あるものとするため、厳しく政府を追求。
 2000年の12月には、菅直人幹事長とともに幹事長補佐としてヨーロッパを歴訪。イギリスでは政権獲得の戦略を学び、「第三の道」改革の必要性を再認識する。イタリアでは連立政権の可能性について学ぶ。
2年目は、「民主党外交・安全保障部門会議」を中心にテロ対策特別法案に、国会の事前承認を加えることを強く主張。さらに、国際局副局長として紛争終結後をにらんだ中東やアジア地域での予防外交の大切さを訴える。
 さらに、先の『あっせん利得処罰法』改正案の審議では、民主党をはじめとする野党共同提出の改正案に賛成の立場から、与党案を批判しつつ、野党修正案の中心的なメンバーとして委員会での質疑、本会議での討論に立つ。
 一方、議員立法の制定にも積極的に取り組む。『官製談合防止法案』、『危険情報公表法案』の2本の法案を提出済み。

現在、『公共事業コントロール法案』、『天下り禁止法案』を準備中。「国土交通委員」、「公選法改正特別委員会委員」として、行政改革・政治改革に取り組む。
民主党幹事長補佐、民主党国際局副局長として、党中央の運営にも携わる。民主党東京都第24区(八王子)総支部長として選挙区をとりまとめる。
 「市民との対話」を重視する立場から継続的にタウン・ミーティングを開き、八王子から「市民が主役」の政治をめざして、草の根運動を展開中。


 私にとって、石原慎太郎氏は政治の世界での父親のような存在です。だから、子どもが父親を見るように、「鏡」とするときもあれば「反面鏡」とする時もあります。しかし、他人が石原さんの悪口を言っていると、むしょうに腹が立つのです。
 一方、菅直人氏は、私にとって何でも話せる兄貴のような存在です。今私は、菅直人政権を作るために、幹事長補佐として菅幹事長を支える日々を送っています。


政策 
 官僚や利権政治家がのさばる今の世の中。
「行政監視院法」「あっせん利得禁止法」を制定し、これらの監視を強化。悪代官が口利きをしてカネもうけをすれば即逮捕のしくみをつくります。

 
「公共事業適正化法」の制定で財政再建を推進し、利権構造を元から断ちます。節約したお金は「バリアフリー法」「リサイクル法」などで私たちのくらしに役立てます。企業献金ゼロの市民派・あくつ幸彦だからできる政策です。
 
「税財源再配分法」により国から地方へ財源を移し、真の地方分権を実現します。古き良き八王子旧市街の復活=オールドタウン構想情報公開とNPOによる、「市民が主役」の地域社会の形成。歴史・文化・伝統と大胆な改革で、日本そして八王子市を再生します。


利権・談合政治を一掃
 私の「政治の原点」は、「田中角栄的な政治」の否定です。官僚にこびへつらい、公共事業をえさにゼネコンや土木業者から金を巻き上げ、その金を使って票を集め権力をわがものとする・・・そんな利権・談合政治を一掃し、政治を市民の手に取り戻さない限り、いまの日本の閉塞状況を打破することは出来ません。

徹底した情報公開と行政監視を進めます
 政治を市民の手に取り戻すためにまず必要なこと―それは、情報公開の徹底です。官僚が情報を独占し、われわれ市民から隠しているために、薬害エイズのような事件が起きてしまいました。私たちの知らないところで行政や政治に好き勝手させるのではなく、徹底した情報公開の下で行政を監視していくことが求められています。
地方分権による日本の再生を目指します
 官僚がすべてを決めるこれまでの政治のあり方を変革し、「自分たちのことは自分たちで決める」という市民自治を実現するためには、財源の移転を含む地方分権が不可欠です。
 21世紀は個の独立の時代である―これが私の信念です。お上が中心の時代から、市民中心の時代へ。私あくつ幸彦は、市民が主役の政治を実現するためにがんばります。


 

しまだ ひさし
島田 久 1935年3月21日(68才) 東京都第25区 初  71,151票(小選挙区) 
<略歴・現職>
1935年 羽村に育つ
1941年 西多摩国民学校に入学 
1947年 西多摩中学校に入学
1950年 東京都立農林高等学校に入学 
1953年 社会党中央本部職員として、片山哲、浅沼稲次郎、河上丈太郎先生に師事
1960年 衆議院議員北条秀一氏の秘書を務める
1963年 羽村町議会議員に最高点で当選
1968年 日本社会党中央本部法規対策副部長に就任
1972年 学校法人多摩児童学院設立 理事長に就任
1973年 西東京公住管理株式会社設立 代表取締役に就任
1983年 東京菅生高等学校開校 理事長に就任
1989年 東京都議会議員選挙に無所属(日本社会党推薦)で立候補し、西多摩選挙区で最高点にて当選
1993年 東京都議会議員選挙に日本社会党公認で立候補し、惜敗
1997年 東京都議会議員選挙に無所属(民主党・社民党推薦)で立候補し、当選
       学校法人菅生学園(東海大学菅生中学、高等学校)理事長
       シドニー(オーストラリア)柔道館アカデミー館長
       民主党東京都25区総支部 総支部長 社会保険労務士
2000年 衆議院議員選挙に民主党公認で立候補し、惜敗
現 在 「政権交代で日本を変える」「環境世紀・西多摩を東京の誇りに」をスローガンに国政改革に向けて活動を展開する。

政策
■政治姿勢
 
21世紀の社会を真に豊かにしていくために。
●教育問題

 最近の子どもたちは、我慢したり、辛いことに耐えることが不得意だ。
それは体力・運動力の低下が問題ではないかと思う。体力低下の要因は、遊び場の減少や少子化に伴う仲間の不足により運動する機会が減ったこと、生活の利便性により、体力の必要性が薄れたこと等があると思う。
 学習指導要領に基づく学校での運動領域を達成させるため、「発達対応教育試案」を提言し、その実現をはかります。
●環境問題

 東京都議会の、都市・環境常任委員長として、都民生活と関係の深い都市計画、環境保全、清掃の諸問題と取り組んできました。
 いま東京は、豊かでゆとりのある、質の高い生活都市の実現に向けて様々な問題に取り組んでいます。委員会では、現地視察を含め数多くの委員会を開き、事業執行の面や予算の面から、審査を重ねてきました。
●地方分権・財政問題
 21世紀における国の役割と、地方自治体の役割は明確にしなければなりません。旧来の中央集権的な政治行政は地方自治体の自主性・自立性を阻んでいます。自治体の役割、国の役割を明確化し地方分権を確立します。そのことを前提にしてそのつなぎ役として中央政治への第一歩を踏み出します。
●介護・医療・福祉・年金問題
 都民の誰もが安心して暮らせるように、時代のニーズに対応した、自助、共助、公助のバランスのとれた社会システムを構築しなければなりません。従来型の問題から、高齢者の選択を通じた適正なサービスの質と効率性の向上を推進します。

@環境世紀に西多摩山河の特性を活かし、東京の誇りとして森林保護や雑木林促進法の制定、多摩川・秋川の清流を守ります。  
A政・官・財癒着の経済構造を改革し、景気回復を実現させ、福祉・教育・情報の人材育成推進と起業環境を整備します。
B五日市線・八高線の複線化、青梅線特快・ライナー増発、モノレールの箱根ケ崎一羽村一秋川一八王子構想を推進して行きます。
C横田基地撤去を基本としながらも、騒音対策を進め、特に地域住民の意見を聞き、軍民共用について検討します。
D地方主権を推進し、権限・財源を含めた抜本的な地方自治確立を目標とし都市と自然が共生する西多摩地域をめざします。
E超高齢社会を踏まえ、西多摩における地域医療システム化と国民の立場から介護・医療・年金改革を推進して行きます。
F日本の食料自給率を高め、西多摩地域における農林業の自立的発展をめざし、東大農場の秋留台移転・誘致に努力します。
G「2013多摩国体の成功と若者に夢と希望を」スローガンに、私学教育経験から「発達・生涯・創造・対応教育試案」を提言します。
H職住隣接を基本とした西多摩地域に、雇用拡大とセフティネット政策を促進し、商工業・観光業の充実を計って行きます。
I英知と勇気で政党間の政権交代制度を確立し、西多摩地域に頻発する利益誘導型政治を打破して住民自治を確立します。



自民党  6名  


やしろ えいた
八代 英太(本名 前島英三郎) 昭和12年 6月 2日  東京ブロック  3回
<略歴・現職>
昭和38年 山梨放送を退社、北区へ
昭和48年 ステージより転落・車椅子
昭和52年 参院選に初当選(全国区)
昭和56年 
DPIアジア太平洋ブロック議長
昭和58年 参院選で再選(比例区)
昭和59年 科学技術政務次官
昭和59年 科学技術政務次官拝命(中曽根内閣)
昭和59年 
参院社会労働委員長
平成 元年 参議院3選(比例代表区)参議院社会労働委員長に就任、自民党政調副会長
        自民党障害者に関する特別委員長
平成 2年 参院厚生委員会理事(筆頭)
平成 3年 
自民党総務(参院代表
平成 6年 
与党福祉プロジェクト委員
平成 7年 党総裁特別顧問に就任(福祉担当)
平成 8年 第41回衆議院議員総選挙で当選(東京12区)、衆議院法務委員長に就任
平成 9年
 党外交部会長に就任、衆議院法務委員会筆頭理事就任
平成10年
 党総務就任(東京ブロック代表)
平成11年 東京都連幹事長に就任、党郵政大臣就任〔小渕内閣
平成12年 郵政大臣再任〔森内閣〕、第42回総選挙で再選(東京12区)、党政調審議委員、党広報本部長
平成13年 党東京都連会長に就任(継続中)、党広報本部常任顧問
平成14年 衆院総務委員会筆頭理事(継続中)、衆院国会等移転に関する特別委員会委員(継続中)
平成15年 本年、議員在職25年となる。
現    在 自民党広報本部長(再任)、自民党政調副会長、自民党障害者に関する特別委員長、自民党東京都第12選挙区支部長
        交通安全議連幹事長、生ごみリサイクル議連幹事長、(その他多数兼職)等を拝命し、奮闘中。
<メッセージ>
「元気な経済!元気な福祉!」「大切な時代(とき)だから、今…。」
 車椅子の国会議員として25年の永年在職を体験し、自らのライフワークとしての福祉政策はもとより、「政治は暮らしの全て」を思う時、今は大切な時代であり、自民党に所属する議員の一人として、益々政治の大切さを心に感じている。私の好きな言葉に「太陽は誰の上にも照らす」があるが、政治はまさに「太陽」の光でなければならない。富める人にも貧しい人にも、歩ける人にも歩けない人にも、政治の光を当てなければならない。特に社会的に弱い人々の為に何をすべきかを考えた時、「改革」の名の下、弱肉強食社会になってはならない。万人の為の21世紀を目指して、車椅子を漕ぎ続けたい。

政治信条
 
昨年の暮れ、青森の友人から真っ赤なりんごが送られてきた。そのなかに手紙があり、こう記してあった。
 「りんごは上からだんだんクサッてゆきます。傷んだりんごは、すぐ取り出して処分してください。りんごは上からクサッてゆきますから……」
 この手紙は友人から私へのメッセージのように思える。不安定な社会、汚職、強盗、殺人、少年犯罪、政治家の自殺etc。日本という日の丸りんごが、いま腐りかけている。
 家庭にあっては父かトップリんご、社会にあっては社長りんご、それぞれ集団・組織には必ずリーダーりんごが存在する。そして、そのいちばん上に政治家りんごかある。そのそれぞれのりんごは、腐りかけていないのか。子供の犯罪を責める前に、社会の不安を嘆く前に、すべての社会のてっぺんに存在する政治家りんごが新鮮で輝きをもたなければならない。
 「りんごは上からクサってゆく……」
そうならないためにも、そう思われないためにも、この“還暦”の区切りを初心に還る日と位置づけて、また再スタートしたいと思う。

 「鳥帰るいずこの空も悲しからむに」。山梨、甲府、東京北区、板橋区、また北区と、春夏秋冬、羽ばたき、傷つき、そして駆け足で走り抜けた60年。もう私は新たに羽ばたきながら新天地を求めてゆくことはない。人生最後のステージとして、心田を耕し、東京北区、足立区の未来を展望しながら、その人たちの付託に応えながら、ひたすら精進したい。
 北区は、ふるさと八代町北区の心の思いを漂わせる街。足立区は、足が立つと書くように、私の動かない足を代替してもらうパワーの街。その心とパワーを車いすにのせて、21世紀こそ「万人のための21世紀」でありたいと願う。そのために頑張りたいと思う。

はとやま くにお
鳩山 邦夫 昭和23年 9月13日 東京都第18区 9回
<略歴・現職>
昭和23年 9月13日生れ
昭和46年 6月東京大学法学部政治学科卒業
昭和47年 3月東京大学法学部公法学科卒業
、7月、田中角栄総理大臣秘書
昭和49年 9月鳩山威一郎参議院議員秘書
昭和51年 12月第34回
衆議院議員総選挙初当選
昭和55年 6月第36回衆議院議員総選挙当選
昭和58年 12月第37回
衆議院議員総選挙当選、行政管理政務次官
昭和59年 11月文部政務次官
昭和61年 7月第38回
衆議院議員総選挙当選
昭和63年 12月自由民主党 文教部会長
平成 元年 6月衆議院文教委員会委員長
平成 2年 2月第39回
衆議院議員総選挙当選、自由民主党総務
平成 3年 1月自由民主党 国際局長
        11月文部大臣
平成 5年 7月第40回
衆議院議員総選挙当選
平成 6年 
月新進党、東京都総支部連合会会長
平成 8年 9月民主党副代表、民主党東京代表
平成 8年10月第41回
衆議院議員総選挙当選
平成11年 3月民主党離党、衆議院議員辞職、4月東京都都知事選挙立候補
平成12年 6月
        新しい政治活動として「自然との共生」をとなえて活動
平成14年 2月衆議院議院運営委員長就任
平成15年 11月第43回
衆議院議員総選挙当選(比例代表選挙区自由民主党東京ブロック)
現在、武力攻撃事態への対処に関する特別委員会委員長、
「自然との共生」を中心とした政治運動を目指している
自然との共生を考える国会議員の会会長

<メッセージ>
自然との共生−。環境革命以外に日本を救う道なし

 政治にとっては、今日も明日も来年も大切ですから、私は医療や年金、中小企業の救済に汗を流します。しかしもっと大切なことは、未来世代を私たち以上に幸せに導くことです。日本の政治に環境革命の端緒を開くことこそ、子や孫の幸を守ることにつながります。とまらぬ温暖化と異常気象の増加、森林破壊と砂漠化、酸性雨や地下汚染、生態系の破壊にオゾンホールの拡大、環境ホルモン。こんな恐怖の構図であと30年も経過すると食料や大気の問題で私たちの生活は確実に破壊されます。未来世代−子や孫の幸を奪ってはならない。自然との共生の道、環境革命以外に日本を救う道なし−と考えております。


いとう たつや
伊藤 達也 昭和36年 7月 6日 東京都第22区 4回
<略歴・現職>
昭和36年  7月6日生まれ 現在38歳
昭和55年  府中白百合幼稚園、府中市立第1小、調布市立第1小、調布中学校を経て慶應義塾高等学校を卒業
昭和59年 慶應義塾大学法学部法律学科卒業、(財)松下政経塾に5期生として入塾
昭和62年  カリフォルニア州立大学大学院行政学部に客員研究員として留学、同時にサクラメント市長の政策スタッフと       なる
昭和63年
 米国下院議員の政策スタッフとなる帰国後、ブレーン21研究所を設立、同時に日米技術交流会議(アライア       ンス’90)の事務総長となる
成 5年  第40回衆議院議員総選挙において東京第11区より初当選
平成 8年  第41回衆議院議員総選挙において東京第22小選挙区(調布、府中、狛江、稲城)より2期目の当選
       衆議院、商工委員会理事、行政改革特別委員会委員、金融安定化特別委員会委員 安全保障委員会委員を歴任
平成10年  8月、自由民主党 財政部会副部会長、地方行政部会副部会長、独禁法に関する調査会幹事、青年局次長を歴任
平成11年 
自由民主党 科学技術部会部会長代理、法務部会副部会長、経済・物価問題調査会副会長、都市政策調査会副会長、女性に関する特       別委員会副委員長、商工部会知的財産政策小委員会副委員長、中心市街地再活性化調査会事務局次長を歴任
平成12年 
6月第42回衆議院議員総選挙において3期目の当選
       7月、通商産業政務次官に就任する。
       12月、衆議院環境委員会理事、経済産業委員会委員、憲法調査会委員、自由民 主党経済産業部会長、行政改革推進本部幹事とな       る。その他、文教制度調査会副会 長、科学技術創造立国・情報通信研究開発推進調査会幹事、中心市街地再活性化調査 会幹事、石       油等資源・エネルギー調査会幹事、民間資本主導の社会資本整備(PF I)推進調査会幹事、地球環境特別委員会副委員長、金融再生ト       ータルプラン推進特 別委員会副会長、犯罪被害者保護・救済特別委員会副委員長など20以上ものプロ ジェクトチームの役職を務め       る。
平成13年 
5月、衆議院経済産業委員会委員となる。
       6月、自由民主党e-Japan重点計画特命委員会事務局長となる。
平成14年
 1月、衆議院経済産業委員会筆頭理事となる。
       衆議院商工委員会理事、安全保障委員会委員、党科学技術部会部会長代理、法務部会副部会長、都市政策調査会副会長、女性に関       する特別委員会副委員長等として活躍中
       10月、小泉改造内閣において、内閣府副大臣(金融担当)に就任する。
平成15年  9月、第2次小泉改造内閣において内閣府副大臣(金融担当)に留任。
       新たに経済財政政策も兼任。

現    職  内閣府副大臣(金融・経済財政政策担当)
       超党派議員連盟ボランティア推進議員連盟事務局
<メッセージ>
あなたと、変える、この国の政治、この国の未来。

 日本は今、これまで経験したことがない試練に直面しています。少子高齢化やIT革命など社会の大きな変化と、今日まで日本の発展を支えてきた諸制度の疲労が、わが国に抜本的な構造改革を迫っています。先送りは許されません。この国の未来と次の世代のために、正しい方向に導かなければなりません。「政治を変えたい、日本を変えたい」という多くの皆様の思いを私は政策として作り上げ、より確かなヴィジョンと信念を持って行動していきます。より素晴らしい日本をつくるために、私は挑戦し続けます。


よさの かおる
与謝野 馨 昭和13年 8月22日 東京都第1区 8回
<略歴・現職>
平成 5年  議院運営委員長
平成 6年  文部大臣
平成 7年  党政務調査会長代理
平成 8年  内閣官房副長官
平成10年  通商産業大臣
<メッセージ>
安心・安全な社会を守るために!

 私は都市生活者・消費者の視点に立ち、特に高齢者や子供を育てやすい社会を皆さんと一緒に作ってまいります。
商店街対策 行政の横断的な応援により、コミュニティ全体で商店街の皆さんを支援します。
子育て対策 所得、子供数に応じた手厚い児童手当、税制の見直し、保育園や幼稚園の充実を行います。
高齢者対策 医療、介護の縦割りを見直し、安心を支える医療保険制度を実現します。また、障害者の方々が安心できる政策を作ります。
治安の対策  凶悪化、組織化する犯罪に対応する体制を強化します。
女性がイキイキと働ける社会環境を整備します。


かもした いちろう
鴨下 一郎 昭和24年 1月 6日  東京都第13区 4回
<略歴・現職>
昭和24年 東京都足立区生まれ
昭和36年 足立区立栗島小学校卒業
昭和39年 足立区立第四中学校卒業
昭和42年 東京都立足立高等学校卒業

昭和50年
 日本大学医学部卒業
昭和54年 日本大学医学部医学研究科修了。学位取得(医学博士)
昭和63年 学校法人鴨下学園理事長
平成 3年
 日本大学医学部兼任講師
平成 5年 医療法人青十字会理事長、7月第40回衆議院議員総選挙初当選東京10区)
平成 6年 環境政務次官
平成 8年 10月第41回衆議院議員総選挙当選東京13区より2期目)、法務委員会理事(現職)
平成10年 大蔵委員会委員
平成12年  6月第42回衆議院議員総選挙東京13区より3期目)
平成14年 党内閣部会長、党新聞局長、党広報副本部長
平成15年 11月第43回
衆議院議員総選挙当選東京13区より4期目)

政府 厚生労働副大臣、環境政務次官
自由民主党 政務調査会内閣部会長、e−japan推進特命委員会主査、
          党新聞局局長、地球温暖化対策特命委員会事務局長
衆議院  大蔵委員会理事、厚生労働委員会理事
その他 東京都連 幹事長代理
       議員連盟 アジアの子供たちに学校をつくる議員の会会長
       議員連盟 おいしい水議員連盟幹事長
       議員連盟 日本・イラク国交改善促進議員連盟事務局長
       議員連盟 モータースポーツ振興議員連盟事務局長

<メッセージ>
10年目の決意足立発日本。品格ある国づくり、健康なまちづくり

 日本は経済・社会保障・行政のしくみなどあらゆることで「まがりかど」に立っています。新しい発想、行動力が今こそ必要です。鴨下一郎は小泉内閣での厚生労働副大臣の経験を生かし国民の皆様が安心して暮らせる年金・医療・介護の制度を必ず守っていきます。また少子化社会の中で子供を生み育てられる支援を充実します。民間にできることは民間に任せることによって行政のムダをなくし効率的な政府をつくることが重要です。
 さらに中小企業の起業、資金調達などを支援し、地域に根づいた活力ある経済を再生します。そして健康で暮らせるまちづくり、世界に誇れる品格ある国づくりに全力を尽くします。
<活動報告>
(医 師)
 喘息、アレルギー、胃潰瘍などストレス病の専門家。心のホームドクターとして名を馳せている。
(教 育)

 学校法人鴨下学園理事長。栗島幼稚園は足立区私立幼稚園の中でも草分け。特に幼児教育の専門家。
(著 作)

 心療内科の立場から現代人の心と身体の問題に健筆をふるう。環境・教育問題に造詣が深くトータルな視点が魅力。
(マスコミ)

 新聞・雑誌をはじめあらゆるメディアで活躍。歯切れのよいコメントは好評。
(学 者)

 
医学博士、日本大学医学部公衆衛生学兼任講師、心療内科学会理事、日本ストレス学界評議員等。
(政 治)

<メッセージ>元環境政務次官として地球環境問題はもとより、保健・医療・福祉また教育問題に取り組む。142回国会では大蔵委員会・法務委員会でかけがえのない子供達の未来のため力を注ぎます。


こすぎ たかし
小杉 隆 昭和10年 9月25日 東京都第5区 7回 
<略歴・現職>
1935年 9月25日東京都目黒区八雲生まれ
1954年 東京都立戸山高等学校卒業
1959年 東京大学卒業(在学中はボート部で活躍)(株)東京放送(TBS)入社 
1965年 東京都議会議員選挙に初当選(29才最年少)以降4期連続当選 
       初代公害対策委員会委員長、首都圏整備委員長などを歴任
1980年 衆議院議員選挙に初当選(以来6期連続当選)
1985年 環境政務次官
1991年 衆議院環境委員長、市民運動の先頭に立ち「鳥獣保護法・狩猟法」を改正
1993年 地球環境問題特別委員長、「環境基本法」の成立を指揮
       Globe
international(地球環境国際議員連盟)総裁
       都議会議員時代からライフワークとしてきた環境問題に、より大きな視点から
       取り組み、「環境の小杉」が定着
1996年 文部大臣に就任
       「教育改革」「心の教育」を提唱し、子供たちと直接対話のため「子供と話そう全国キャンペーン」を
       展開。自ら全国を行脚して「心の教育」を実践。文部大臣時代に提唱した数々の政策が、さまざまな       抵抗を撥ね退けてやっと今、実現しつつある。
1997年 自民党政務調査会長代理
1998年 政治改革本部本部長代理
1999年 自民党PFI調査会長、自民党総務会副会長
       「NPO法」「各種リサイクル法」「省エネ法」「地球温暖化防止法」などの成立を指揮する一方、「官か
       ら民へ」を具体化した「PFI法」を提案、成立させるなど議員立法も多く手掛ける。
       また、「地球環境」「予防外交」「規制改革」「心の教育」等、新しい政治テーマを国会に持ち込む。
2000年 衆議院議員選挙、惜敗。以来、復活をかけて充電。
2003年 衆議院議員選挙、当選。再び国政最前線に立つ。
       GLOBE(地球環境国際議員連盟)創立者自民党低公害車小委員会初代委員長
       (財)日本野鳥の会会長自転車活用推進研究会委員長、政治活動の傍ら大学教授として環境学の教鞭も執る。
著   書 「ゴミ箱の中の地球」、「地球の掟」、「失われた心の教育を求めて」など。
趣   味 トライアスロンを走破するスポーツマン、オペラ愛好家としても有名
座右の銘 「人事を尽くして天命を待つ」
現   在 大学教授、日本野鳥の会会長。
<メッセージ>
子供たちを守れ

 「子どもたちを守れ」と叫びたい。
 子どもたちの未来が心配です。子どもたちに視点を置くことが政治の全ての課題の解決につながります。
 私は環境と教育に長く携わってまいりました。低公害車導入、省エネ・省資源、自然とのふれあい、環境教育などどれも私が国会を離れている間に停滞しています。
 「日本を変える」。
 私はいまそう訴えています。そのために一刻も早く改革を成し遂げねばなりません。
 私が改革推進の強力なエンジンになります!
確かな羅針盤を持て
 日本は海図も羅針盤もないまま、時代の大海原を漂うような状況にあります。 経済、政治、外交などあらゆる面で、確かだと思い込んでいた海図が、実は曖昧で不透明であったことに私たちは気がつきつつあるのです。先行きの不安、政策への不満を嘆くだけでは、いくら必死にオールを漕いでも新しい岸辺にたどり着くことはできません。
 たとえば、景気浮揚策としてかつては劇的な効果をもたらした大規模な公共事業は、いまでは資金を投入すればするほど財政や環境への負荷を増大させるだけになってきました。公共事業に依存する組織や社会構造が定着し、既得権益化してしまったために、方向転換するにしても、このまま存続させるにしても、国民生活に与える「痛み」は同じように大きいのです。
 痛いからといって患部をそのままにしていては、国民生活は静かに衰退していくしかありません。次の活力、新しい生命力を引き出すために、社会構造を改革し大胆な方向転換を実現することがなんとしても必要なのです。先見性をもって国民生活を守る施策を打ち出していくことが、最優先の政治課題です。
改革の責任を果たせ
 日本は大きく様変わりしました。少子高齢化、情報化、グローバル化は予想を上回るテンポで進んでいます。これに対して、橋本内閣の「6つの改革」以来、現在の小泉内閣の「聖域なき構造改革」まで歴代内閣の各分野での改革は少しずつ進展していはいるものの、まだ充分な成果をあげ得ないでいます。
 しかし、内容を仔細に検討すれば、ここ数年で経済構造や行政、生活、環境、地方制度、外交等の面で改革が着実に進んでいることも確かなのです。縦割り行政を払拭し効率的な行政を実現するための省庁再編、重厚長大型から生活環境重視型への公共事業の見直し、硬直化した道路特定財源の見直し、相続税・贈与税や住宅関連税の減税、不良債権処理、4重点分野(科学技術、都市再生、高齢少子化、環境)への予算重点配分、国債発行の抑制、構造改革特区の推進、市町村合併の推進、知的財産やIT等の産業競争力の強化、道路公団改革、郵政改革、特殊法人改革、「待機児童ゼロ」等の少子化対策、雇用対策、京都議定書の批准や低公害車(燃料電池車)の導入等の環境対策、世界的な著作権やビジネスモデル紛争に対処し、コンプライアンス(法令遵守)社会を成熟させるための司法改革、それに伴うロースクールの創設、北朝鮮問題に風穴を開けた拉致問題への取り組み、暴走する北朝鮮やイラク、インド、パキスタンなどの核問題、テロ対策等の外交・防衛路線の検討など、これまで真正面から取り扱うことの少なかった多岐にわたる課題に果敢に挑戦しています。
国民主役の政治を貫け
 こうした改革は、長年続いてきた仕組みを壊すことであり、痛みを伴うことですから、当然、抵抗や反対が起こってきます。政府・与党も、真に国民に安心を与えうる政策を描ききれているとは言えず、野党は混乱に便乗し、耳障りのよい政策を提示し、党勢拡大に繋げようとしています。しかし、彼らに責任ある将来展望のできる対案を持っているのでしょうか。
 今は時代が変わろうとする疾風怒濤の最中(さなか)にあります。試行錯誤しながら、最善の道を模索する努力を惜しんではなりません。情報公開を徹底し、議論を尽くしていくなかで、健全な保守勢力が確かな海図や羅針盤を見いだす責任を果たすべきだと信じます。
 改革を進めていく過程で、内外の経済の不確実性によって景気の低迷や深刻なデフレ、不良債権問題、年金・医療等の社会保障負担の見直しなど切迫した課題にも対処していかなければなりません。規制改革の弱肉強食にならない公正な自由競争社会の実現、効率的で簡素な政府や自治体の実現、教育改革、主体性を持った外交防衛政策の確立など多くの課題も山積しています。今までの常識や慣例を越える新しいやり方を模索し、実行し、展望を切り開いていかなければなりません。企業の多くはいち早く新しい時代への対応を始めています。個人や団体もそれぞれが新しい航路を見つけ出そうと必死に模索しています。リーダーシップを発揮すべき政治、そして政府や自治体の動きが鈍くては新しい時代を切り開いていくことはできません。
 解散・総選挙はそう遠くはありません。政党が責任ある政策を示し、それを実行していける力量を示せるかどうか、国民の審判が下ります。私は臥薪嘗胆の中から学んだ様々な経験や蓄積した知識を生かして、国のために研鑚努力を続ける覚悟です。日本の現状を見極め、確かな将来を築くため渾身の努力を続けます。皆様の限りないご支援をお願いするとともに、改めてこうお呼びかけしたいと思います。「一緒に明るい未来を創造しようではありませんか。時代の主役はいつでも私たち国民なのです」と。

ぜんそく、アトピー、化学物質過敏症など、環境悪化によるさまざまな症状に苦しむ子どもが増えています。汚れた空気、水、食べ物に囲まれ、荒廃しつつある教育現場で心に深い傷を負い、ひどい場合には犯罪に巻き込まれたり、善悪の判断ができないまま人生を狂わせてしまう子どもたち。大人である私たちが、まず、それぞれの責任を果たし、いたわりと節度を大切にする社会をつくらなければ、未来は拓けません。「子どもたちを守れ!」子どもたちの健全な成長に心を砕くことが政治の基本です。
●子どもたちを守れ!
 目先の経済効率性を追い求め、政争に明け暮れる政治の陰で、子どもたちが直面しているさまざまな「危機」が放置されていることに、私はどうにも我慢できません。たとえば、東京の子どもの「ぜんそく被患率」は全国平均の二倍に達し、2000年以降急増しているのです。環境と教育を生涯の仕事として取り組んできた私自身の非力を猛省するとともに、いま一度、国会に戻って、やり残している環境保全や教育改革をはじめとした課題に全力で取り組みたい。ひりつくような焦燥感を抱いて、挑戦します。
 景気回復、デフレ解消、金融システム安定化、雇用確保、社会保障充実など、すべては未来を託す子どもたちの健全な育成が大前提でなけれはなりません。国家や社会を愛せ、と教育するのではなく、信頼し、愛せる日本を創ることが私の使命です。
 「日本を変える!」 小泉の改革に小杉の環境・教育改革を反映させ、子どもたちを守るために、一緒に立ち上がってください。



公明党  2名


たかぎ ようすけ
高木 陽介  昭和34年12月 東京ブロック比例区  3回
<略歴・現職>
昭和34年 東京都大田区に生まれる。
昭和59年 3月、創価大学法学部を卒業。
昭和60年 1月
、毎日新聞社に入社。浜松支局、静岡支局に配属。「山口組暴力団一家の
        事務所追放運動」や元死刑囚のえん罪「島田事件の無罪判決などを担当。
平成 元年 4、東京本社社会部に配属。天安門事件後の「中国人就学生・強制送還問題」や、
        「隅田川護岸工事」の環境問題など、弱者の視点から真相を究明。
平成 5年 7月、第40回衆議院選挙に東京区より33歳で初当選逓信委員会に所属し、
        21世紀を見据えての情報通信政策、産業通商政策に取り組む。公明党青年局長に就任。
        (〜94.
11
平成 8年 10月、第41回衆議院選挙で新進党から東京24区(八王子市)で挑戦するが惜敗。
平成10年 11月、新党平和解散後、公明党結成に参加。公明党東京第24総支部代表に就任。次期衆院選候補として公認。
平成12年 6月第42回衆議院選挙に東京比例区より当選 。逓信委員会理事として、IT問題を担当 。議院運営委員として円滑な議会の進行に努め        る。少年法改正では議員立法の提案者として答弁。
平成12年 7月、国会対策 副委員長に就任。(〜2002.1)
        11月
、広報委員会 副委員長に就任。広報委員会 宣伝局長に就任。(〜2002.11)組織委員会 遊説局次長に就任。
平成13年 2月、循環型社会推進会議(エコジャパン会議) 事務局次長に就任。個人情報保護法に関するPT(プロジェクトチーム)
        事務局長に就任。IT社会戦略委員会 事務局長に就任。
        5月、ホームレス問題PT 事務局長に就任。災害対策PT 事務局次長に就任。都市再生PT 座長に就任。郵政事業に関するPT事務        局次長に就任。
        8月、公益法人改革委員会 副委員長に就任。
        9月、三宅島復興対策本部 事務局次長に就任。東京都本部副代表に就任。(〜2003.5)
平成14年 1月、地域サポート運動推進委員会 委員に就任。国土交通大臣政務官に就任。(〜2003.9)
        6月
、広報委員会 広報局長に就任。
平成15年 
月、東京都本部代表代行に就任。
        9月、安全保障常任委員会 委員に就任。(第157国会)事態対処特別委員会 理事に就任。(第157国会)
           テロ防止特別委員会 委員に就任。(第157国会)
        11月、第43回衆議院総選挙に東京比例区より当選。国会対策 副委員長に就任。国土交通部会長に就任。
政策
●特技
写真。新聞記者生活8年間、肌身離さず手にしたカメラも3代目。八王子の自然や子供の成長、「この一瞬」を見つめる眼を大切にしたいと思います。
●趣昧
将棋。小学6年生になる長男とようやく将棋盤につけるようになりました。子ども達の将来のためにも、私たち大人がバトンをしっかり繋がねくては。
●好きな言葉
「奔馳不息(ほんちふそく)」。どのような状況でも前向きに走り続けるの意。思うに任せない社会の中で悪戦苦闘の毎日というのが現実。
前向きに課題の解決を目指して戦っていく。そんな気持ちをかきたててくれる言葉だ。
●愛読書
歴史小説。その時代その場所に生きる人物の生き方を通して、多くのことを学ぶことができる。私たちも自分自身の歴史を残せる生き方をしたいものだと読後は爽快。
●性格
明朗で短気。両親に学んだ正義感は、新聞記者時代も今も変らず活力の源だと思う。
●家族
大学で同期生だった妻と2男1女の5人家族。新聞記者当時から、顧みれない家庭を守り子ども達をのびのびと育ててくれる妻に感謝の毎日です。
「安心と活力ある社会」を実現します!2001年政治を変えます。新しい力で!
JR中央線連続立体交差事業を推進します
 JR中央線の連続立体交差事業などの交通網整備を行い、交通渋滞解消を推進して参ります。
情報通信立国を目指します
 通信料金の大幅な値下げや各種規制緩和により情報通信立国を目指します。
アレルギー性疾患(しっかん)の総合対策急げ
 アトピー性皮膚炎や花粉症、気管支ぜん息、アレルギー性結膜炎などのアレルギー性疾患に悩む人が急増しています。国民の3人に1人は何らかのアレルギーを持っているとされ、いまや“国民病”。発生の仕組みの解明と効果的な治療法の確立・医療体制の整備を推進してまいります。

行政評価制度の確立を急げ
 
国や地方自冶体が行う政策や事業を、事前または事後に評価し、次の政策や予算に反映する「ことにより、効率的な行政の実現を目指し、税金のムダ使いをなくします。
循環型社会の構築を目指します
 
ダイオキシン・ゼロ社会、ゴミ・ゼロ社会へ。環境破壊をストップし生命と安全を守るため資源循環型の経済社会を構築していきます。


たかぎ みちよ
高木 美智代 昭和 年 日 東京ブロック比例区  1回
<略歴・現職>

政策
 党員・支持者の皆さま、創価学会員の皆さまの温かい献身的なご支援により、勝利することができました。心より感謝申し上げます。

 政治を良くしたい、日本を変えたい――そうした熱い思いに後押しされ、ひたすら走り続けた12日間でした。何とありがたい支持者の皆さまかと、幾度胸を熱くしたかしれません。声援を送ってくださったお一人お一人の姿が心に焼き付いております。とりわけ献身的な女性党員・支持者の姿と心に触れるたび、「女性の正義と信念の連帯こそ、社会を変革できる力である」との確信が深まりました。

 今夏の炎天下、東京の女性議員とともに女性キャラバン隊をスタートさせ、「輝け! 女性」をスローガンに、子育て支援、食の安全、女性専門外来の設置など公明党が誠実に真剣に取り組んできた実績を街頭で訴えること100回。女性が輝ける社会こそ、公明党が掲げる「安心・はつらつ社会」と心に決め、「一人ひとりの生命と暮らしを守る政治を実現しよう」と訴えてきました。

 今度は国会の場で、党員・支持者の皆さまと固く結んだ約束を実現するため、年金改革をはじめ環境、教育、平和、人権など、女性の視点、女性の立場から全力で改革を推進してまいります。

 「政治家は国民に奉仕するためにいる」との思いを決して忘れず、来年の参院選大勝利へスタートいたします!



共産党  1名


やまぐち とみお
山口 富男 1954年 1月29日  東京ブロック比例区  2回
<略歴・現職>


1954年 静岡県三島市に生まれる
             三島市立東小学校、同・南中学校、静岡県立韮山高校に学ぶ
1977年 同志社大学文学部卒業 同大歴史学研究会幹事長。
1979年 日本共産党中央委員会勤務(社会科学研究所事務局長、文化・教育局長ほか)
2000年 比例代表・東京ブロックから衆議院議員に初当選
現   在、日本共産党常任幹部会委員、党政策委員長代理、日本共産党・衆議院東京
4区予定候      補
家   族 妻と二女
趣  味 フォークギターと古書探索
著  書 『新しい世紀に日本共産党を語る』(2003年、新日本出版社)
共  著 『変革の立場と傍観者の論理』(1994年、新日本出版社)
     
 日本共産党中央委員会付属社会科学研究所編
      『憲法の原点―評論と資料―』(1993年、新日本出版社)
共  著 『ネオ・マルクス主義──研究と批判』(1989年、新日本出版社)
共  著 『大学生講座・生活術』(1984年、大月書店)など。
 日本共産党衆議院議員(2期)。党常任幹部会委員、政策委員長代理。
 2000年6月の総選挙で、比例代表・東京都選挙区から衆議院議員に初当選。2003年11月の総選挙で再選。衆議院では、予算委員会委員、厚生労働委員会委員、憲法調査会委員など。予算委員会で小泉総理への質問にたったのをはじめ、新聞・テレビに出演。地域経済・くらし・福祉の問題から、平和・外交・憲法まで、「国民が主人公」の政治の実現のために、がんばっています。
 小選挙区・東京4区で国政に挑戦し、東京・大田区と国政をつなぐ議員として活動を広げています。
 1977年、同志社大学卒業後、京都市内で日本共産党事務所に勤め、1979年2月から、日本共産党中央委員会に勤務。社会科学研究所事務局長、文化・教育局長、政策委員会副委員長として、文化と教育、政策・宣伝の分野などで、幅広く活動してきました。また、1998年以降、3回、中国を訪問。1999年6月の訪中では、「日本共産党研究視察代表団」の団長をつとめました。そのほか、国会では、アメリカ、メキシコ、ロシア、オランダなどでの憲法事情の調査に参加しています。
 
1954年1月29日、静岡県三島市で生まれ、奈良時代の歴史書に登場する三島大社の近くで育ちました。
 三島市は、源頼朝にまつわる伝説・史跡のひろがる街です。富士山麓からの湧き水が美しく、街を流れる川は、かっこうの遊び場でした。もう1つの遊び場は、家の近くの映画館。東映のチャンバラ映画に夢中で、家にあった鏡にむかって、エイ=B全部、割ってしまいました。
 1960年の安保闘争の波は、私にも押し寄せ、「おしくらまんじゅう」の掛け声は、あんぽ・ふんさい=B1960年代前半におこった、石油コンビナート建設反対の住民運動は、政治を考える最初のきっかけをあたえてくれました。
 両親と妹は、いまも、三島市在住で、義弟(下山一美)は日本共産党の市会議員です。
 
中学・高校時代は、ベトナム戦争、中国の「文化大革命」、東大闘争などがあいつぎ、世界や日本で、なにが起きているのか、人間は社会と歴史にどう働きかけるのか、クラス討論も行なわれ、精一杯、考えました。中学の恩師は木村まや子先生で、私も、合唱部を手伝いました。10数年後、先生には、結婚式でのあいさつをお願いしました。
 三島南中学、韮山高校を通じて水泳部でした。自由形の選手で、個人メドレーもやりました。400メートル・リレーで地区大会3位が最高です。全日本選手権(中学)100メートル自由形の優勝者から、泳ぎの手ほどきを受けたことが唯一の自慢。水泳部の1年後輩は、韮山町の助役をやっています。
 
日本共産党に入党はヘルメット学生の暴力にひるまず、民主主義を求める先輩や友人たちの姿に感動し、大学1年のときに日本共産党に入党(1974年1月)。日本近代史の勉強を通じて、野呂栄太郎の生涯を知ったことや田中内閣による小選挙区制導入反対のたたかいへの参加もきっかけでした。
 1977年、大学卒業後、日本共産党京都北地区委員会に勤めました。地区委員会には、穀田恵二さん(日本共産党国対委員長)がいました。 2年後、日本共産党本部に移り、学生新聞、社会科学研究所、文化・知識人委員会、政策委員会などの仕事にあたってきました。いろいろな方との共同作業で、日本共産党の綱領路線を押し広げてゆく仕事に精を出す毎日でした。
 
国政選挙への挑戦の話を受けたのは、1998年3月のこと。東京4区(大田区中南部)の衆院補選でビラ作りをしていたときでした。2年後、2000年の総選挙で、比例代表東京ブロックから国会におくっていただきました。
 初質問は、当選2週間後の衆院大蔵委員会(現在の財政金融委員会)。佐々木憲昭さんのアドバイスを受け、日本銀行の超低金利政策を批判しました。秘書のみなさんも委員会室に勢ぞろいの応援でした。
 森喜朗、小泉純一郎首相とのテレビ論戦に立ったのをはじめ、一期目の国会質問は85回。予算委員会、厚生労働委員会、憲法調査会などの委員でした。
 2002年4月、東京・大田から国政に挑戦することを決意。小泉・自公政治と対決し、暮らしと営業を応援する新しい政治をおこすために、活動をひろげ、2003年秋の総選挙では、比例代表東京都選挙区で再選されました。

政策
新しい年――平和と憲法守れ、暮らし守れの力を大きく合流させよう

平和でも、暮らしでも、日本の進路が大きく問われる、2004年となりました。
 イラクへの自衛隊派兵は、アメリカとイギリスの軍事占領と支配を直接、支援するもので、世界の平和のルール、平和の憲法の立場からいっても、絶対に許せません。
 イラク戦争の無法ぶりは、フセイン元大統領の拘束でもぬぐえないものです。相手国に攻め込み、軍事占領で国民を傷つける――このようなやり方は、第二次世界大戦後、認められなくなりました。
 国連のアナン事務総長が、国連憲章に違反するとたびたび非難し、フランス、ドイツ、ロシア、中国など、多数の国が、軍隊の派遣を拒否して、イラク戦争と占領支配の不法さを批判しているのも、そのためです。
イラクに自衛隊を送るな
 米英軍主導の占領支配から、国連中心の枠組みによる人道復興支援にきりかえること、その枠組みのもとでイラク国民に主権を返還し、一日も早く占領軍を撤退させる――この方向でこそ、憎しみとテロをなくし、イラク問題を解決する道をひらくことができます。日本に求められるのは、そのための外交と政治の真剣な努力です。
 しかも、「イラク全土が戦争状態」(アメリカ占領軍司令官)にあるなかで、自衛隊は占領軍の一部とみなされ、ゆくところが「戦闘地域」となってしまいます。他国の領土で他国民を傷つけるという、恐るべき道に日本を引きずり込むことになります。自衛隊派兵をやめさせ、平和の憲法をまもりぬくために、力をあわせましょう。
暮らしと商売いじめをやめよ
 政府予算案は、若者から高齢者まで、すべての国民にきびしい負担を強いる、生活破壊予算案となりました。年金改悪でも与党が合意しました。そこにあるのは、暮らしと福祉、商売いじめの方針ばかりです。
 年金では、毎年、保険料を引き上げ、給付を大きく削る。公立保育園への補助金削減と一般財源化をはじめ、暮らしと福祉での国の責任を放棄する政策ばかりです。これも憲法にそむくではありませんか。
 2004年、平和と憲法を守れ、暮らしを守れの声と運動を大きく合流させましょう。私も、平和と暮らし、福祉を守るために、みなさんと力をあわせます。