ローマ字
ふつう英語のアルファベット26字をいい、大文字と小文字との2系列がある。いまの字種・字体などがローマで完成したのでそう呼ぶ。また、ラテン語の文字なので(ラテン文字)ともいい、むしろこの名のほうが国際的に通りがよい。
◆単語文字(漢字、シュメル文字)
◆音節文字(かな、楔形<くさびがた>文字)
に対する音素文字で、最小の音単位に引きあてうる字母である。同じく音素文字であるロシア字には、連続する2つの音単位にあてた字母がある(Щ[∫t∫]―Ш[∫]、Ч[t∫]。ロシア字に比べて、大文字と小文字とで形の違うことが多く、小文字には上または下にのびた特徴的な図形を持つものが多い。現在ローマ字を使う言語は極めて多く、ヨーロッパのほとんどすべての国語(イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、ルーマニア、イギリス、ドイツ、オランダ、デンマーク、ノルウェー、チェコ、ポーランド、ユーゴスラヴィア、フィンランド、ハンガリーの諸語)と、東洋のインドネシア、アンナン[ヴェトナム]、トルコの諸語がある。ローマ字は紀元前後には23字しかなかったが、その後、中世にJ、U、次いでWが派生して今の26文字が揃った。
8世紀カール大帝のもとで、大文字・小文字の使い分けと、わかち書きが成立し、それとともにヨーロッパの共通文字となり、やがて西ヨーロッパ近代国家の成長とキリスト教の普及とによって国際字母表となった。字母の配列はローマ人が多少変えたが、だいたい唇からのどへ、前舌から奥舌への配列されている。
母音ではEIが前舌音で広から狭へ並び、OUが 奥舌音で広から狭へ並んでいる。これはギリシャ人が学び取ったフェニキア字の配列を反映したものである(なお、ローマ字はギリシャ字からエトルリア字を経て成立した)。漢字・かなと違って字母に呼び名がある。今の呼び名は、フェニキア字の呼び名を捨てたエルトルリア人の習慣を継いだもので、母音字にはその発音をあて、子音字には前か後かに母音(多くはe、奥舌音にはa、ローマ字ではiも)を加えて呼んだ。
日本では英語風の呼び名が広まっているが、日本風の呼び名の提案も幾つかある。現在日本ではローマ字文は行われていないが、正書法のごく一部として特定の語や会社名など(PTA、NHK、・・・KK)に用いられる。しかし小学校4年以上で国語の一部としてローマ字の学習が始められ(1947年)、字母の知識以上にローマ字文の読み書きも普及しつつある。
日本にローマ字が入ったのは、1591年にキリシタン版の宗教書≪諸聖徒の御作業の内抜書≫
SANCTOS NOGOSAGVEO NO VCHINVQIGAQIが刊行されたとき、以後18種のローマ字本が出た。これはポルトガル語におけるローマ字の発音に基づく書き方(タ行ta chi tcu te to)であった。その後、蘭学者たちが日本人の側からローマ字書きを試みたが、これはオランダ式であった(ta ti toe te to)その他、ドイツ式(ta tsi tsu te to)やフランス式(ta tsi tsou te to)が西欧諸国の側からあらわれたが、J.C.ヘップバーン(ヘボン)の≪和英語林集成≫(1867年)が英語式(ta chi tsu te to)で書かれてから、いわゆる(ヘボン式ローマ字)の名で普及した。
これに対して、日本語に合わせて作った(≪日本式ローマ字≫(ta ti tu te to)が田中館愛橘によって提唱された(1885年)。この2つの統一をはかって昭和の初めに臨時ローマ字調査会が置かれ、その論議の結果によって、つづり方の訓令が交付された(1937年)。これを≪訓令式≫(ta ti tu te to)という。第2次世界大戦後 (1954年)訓令式が別の形で承認され、それがローマ字教育に用いられている。訓令式、日本式、ヘボン式とも、五十音図のかなにあてることから出発したもので、個々に大差はない。
ローマ字教育を、ローマ字による読み書きの力を養い、その学習指導を通して、国語力の充実・向上を図るもの、さらにこれによって国語生活の改善に資するものであるという見方と、ローマ字を教えることは手段であって、目的ではなく、かなや漢字に代わるローマ字による教育であると強調する見方とある。また、これを単にローマ字を教える教育、ローマ字で教える教育などとする人もある。
【歴史】
日本における近世のローマ字論は、1869年(明治2年)の南部義籌の<修国語論>に始るといってよく学校でローマ字を教えるという出張は1891年広島県師範学校校長久保田譲の
建議以来、ローマ字国字の運動ともに、明治・大正・昭和を通じていく度となく繰り返されたが、太平洋戦争前は中学校で、また、国民学校の高等科で、英語科において適宜、英語学習の手がかりとして、、その概略(英語式つづりによるもの)が教えられたに過ぎなかったローマ字教育が学校教育、特に義務教育で行われたのは、1947年(昭和22年)4月からである。その一つのきっかけは、前年4月アメリカ教育使節団の報告書の中に、ローマ字を教育に取り入れ、社会生活に導き入れる計画を立てることの勧告である。
6月に文部省に<ローマ字教育協議会>が設けられ、ローマ字教育の方針、目的および方法について協議され、意見書が文部大臣に提出され、ローマ字文部省はこれに検討を加え、1947年2月次官通牒を発して、1947年4月から事情の許す限りローマ字による国語の読み書きを教えることにした。そして、それを行うかどうかは学校の教育上の責任者がその学校の事情を考慮して決定し、原則として小学校第4学年(または第3学年)以上の各学年で、一年を通じて40時間以上国語或いは自由研究の時間のうちで行うこととし、教授の方針・方法、その他については<ローマ字教育の指針><ローマ字文の書き方>によることとし、教科書は文部省編集のものの使用を原則とし、教師の訓練について適当の処置を講ずるというローマ字教育の実践要項が発表された。
<指針>によると、ローマ字教育を行う必要は、ローマ字が
(1)国際的な文字で
(2)能率の高い文字であること
(3)国語の特質・構造に関する正確な知識およびこれを自由に使う能力を得させるのに役立つこととなっている
また、文部省は1951年(昭和26年)改訂の小・中学校の国語学習要領に、それぞれローマ字の学習指導について1章を設け
(1)国語を書き表す一つの手段としてローマ字を読み書きする能力を養い、合わせて国語・国字問題に対して反省する機会を与え
(2)ローマ字の長所を生かし、国語の機能とその特質を児童に理解・習得させ、聞いただけでわかる言葉を使う習慣を養い
(3)ローマ字がもっている国際的・能率的な長所を理解させることが国語学習の中で一つの重要な地位を占めるとしている
<指針)も1950年に改訂され、<国語をやさしく、そして耳で聞いてわかるようにし、教育・学問をひろめ、民主的・文化的な国民を育てあげるため>の一つの手段として、ローマ字が
(1)表音文字であるため、表意文字である漢字の場合よりも書き言葉に対する反省を強め、やさしく、わかりやすい言葉を書いたり話したりさせることに役立ち
(2)単音文字であるため、国語の音韻的ならびに文法的構造に関する自覚を高め、美しく正しい国語を自由に使う能力を養うことが出来
(3)国際文字であるため、国際間の理解、親善を深めることができると述べている
1961年4月から実施の教育課程では、ローマ字教育は国語科の中で小学校4〜6学年に計40時間をあてて行うこととし、ローマ字を「かな」や漢字と同じように扱っていたが、1968年の改訂(1971年実施)により、第4学年に<ローマ字による日常ふれる程度の簡単な単語の読み書きを指導する>だけとなった。ローマ字教育は前述の通り1947年から全国的に実施されたが、文部省教育研修所(後に国立教育研究所)では、1947年5月から3年間、文部省は1950年から3年間、ローマ字教育の実験学級を全国に設けて、その研究・調査をした。一方、1947年10月から1949年3月まで文部省はローマ字調査会を設けて、つづり方と教育について審議、翌年5月国語審議会の中にローマ字調査分化審議会を設けて、つづり方わかち書きについて審議したが、同年9月第2次アメリカ教育使節団の報告書の中にあったローマ字の普及と教育についての勧告によって、国語審議会の中にローマ字教育部会が設けられ、その審議が行われた。
また、国語審議会は、1953年4月ローマ字のつづり方を単一化した第1表、第2表を文部大臣に建議し、これにもとづき1954年12月の内閣訓令<ローマ字のつづり方の実施について>および内閣告示により、一般には第1表によるが、事情によっては第2表を用いても差し支えないとされた。1955年4月から学校では第1表を教え、従来教科書が3式によって編集され、適宜選択採用してきたのを第1表によることにした。この第1表は従来の訓令式と同じで<統一式>とも呼ばれる。
第1表 |
第2表 |
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a あ |
i い |
u う |
e え |
o お |
(標準式) |
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ka か |
ki き |
ku く |
ke け |
ko こ |
kya きゃ |
kyu きゅ |
kyo きょ |
sya しゃ |
shi し |
syu しゅ |
syo しょ |
||
sa さ |
si し |
su す |
se せ |
so そ |
sya しゃ |
syu しゅ |
syo しょ |
tsu つ |
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ta た |
ti ち |
tu つ |
te て |
to と |
tya ちゃ |
tyu ちゅ |
tyo ちょ |
cha ちゃ |
chi ち |
chu ちゅ |
cho ちょ |
||
na な |
ni に |
nu ぬ |
ne ね |
no の |
nya にゃ |
nyu にゅ |
nyo にょ |
fu ふ |
|||||
ha は |
hi ひ |
hu ふ |
he へ |
ho ほ |
hya ひゃ |
hyu ひゅ |
hyo ひょ |
ja じゃ |
ji じ |
ju じゅ |
jo じょ |
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ma ま |
mi み |
mu む |
me め |
mo も |
mya みゃ |
myu みゅ |
myo みょ |
||||||
ya や |
i い |
yu ゆ |
e え |
yo よ |
(日本式) |
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ra ら |
ri り |
ru る |
re れ |
ro ろ |
rya りゃ |
ryu りゅ |
ryo りょ |
di ぢ |
du づ |
||||
wa わ |
i い |
u う |
e え |
o お |
dya ぢゃ |
dyi ぢぃ |
dyu ぢゅ |
dyo ぢょ |
|||||
ga が |
gi ぎ |
gu ぐ |
ge げ |
go ご |
gya ぎゃ |
gyu ぎゅ |
gyo ぎょ |
kwa くわ |
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za ざ |
zi じ |
zu ず |
ze ぜ |
zo ぞ |
zya じゃ |
zyu じゅ |
zyo じょ |
wo を |
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da だ |
zi じ |
zu ず |
de で |
do ど |
zya じゃ |
zyu じゅ |
zyo じょ |
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ba ば |
bi び |
bu ぶ |
be べ |
bo ぼ |
bya びゃ |
byu びゅ |
byo びょ |
||||||
pa ぱ |
pi ぴ |
pu ぷ |
pe ぺ |
po ぽ |
pya ぴゃ |
pyu ぴゅ |
pyo ぴょ |
内閣告示第1号
国語を書き表す場合に用いるローマ字のつづり方を次ぎのように定める。
昭和29年12月9日
内閣総理大臣 吉田 茂
1・一般に国語を書き表す場合は、第1表に掲げたつづり方によるものとする。
2・国際的関係その他従来の慣例をにわかに改めがたい事情にある場合に限り、第2表に掲げたつづり字によってさしつかえない。
3・前二項のいずれの場合においても、おおむね添え書きを適用する。
そえがき
上表に定めたもののほか、おおむね次ぎの各項による。
1・はねる音「ン」はすべてnと書く。
2・はねる音を表すnと、次ぎにくる母音字またはyとを切り離す必要がある場合には、nの次ぎに’を入れる。
3・つまる音は次ぎの音節の最初の子音字を重ねて表す。
4・長音は母音字の上に^をつけて表す。なお、大文字の場合は母音字を並べてもよい。
5・特殊音の書き表し方は自由とする。
6・文の書きはじめ、および固有名詞は語頭を大文字で書く。なお、固有名詞以外の名詞の語頭を大文字で書いてもよい。
【指導と効果】
ローマ字の指導法はいろいろあり、以前はアルファべット(字母)からはいる方法、五十音図による方法が多く行われていたが、第2次世界大戦後は文章から入り、単語の語形と語音の相違との関係を明らかにするため、さらに、単語を音節に分解し、一つ一つの音節について、その発音を教える語型法が効果ある方法としてかなり行われている。また、書く場合の筆記体(書字体)も入門期にはマヌスクリプト体(手書体)という印刷体に近いものを教えるほうがよいといわれている。
ローマ字は表音文字であり、単音文字であるから、話し言葉や書き言葉に対する反省を強め、言葉のきまりについて児童の自覚を高めることができるが、実験学級の調査や、実際指導の経験によると、音声教育の指導、語法の指導に役立つこと、わかち書きをするために語意識が養われ、言葉に関する感覚・関心が深められることが報告されている。
ローマ字教育については、1958年2月中国が漢字簡略化や標準普及の過程において混乱を防ぐため漢字のローマ字つづり採用を決定して以来、日本でも将来これを国字とするかどうかという議論がさかんになるとともに、これに対する関心も一段と高められてきた。
将来の日本語の正書法の文字としてローマ字を採用すべきだとする考え(ローマ字論)をめぐる論議、およびローマ字を採用するとして起こりうる諸問題。起こりうる諸問題として、つづり字、わかち書き、言いかえ(かとば直し)、ローマ字採用までどのような段階を経て進むか、などである。ローマ字論の最初は1869年(明治2年)に南部義籌が大学別当の山内豊信に建白した<修国語論>である。これは、日本語が外国語のために混雑摩滅することを防ぐのにローマ字を採用すべきことを述べたにすぎないが、1974年蘭学者の西周は<洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論>を発表し、ローマ字で日本語を書く場合の利益10ヵ条、損害3ヵ条をあげた。利益10ヵ条のうちには、外国語の学習に入りやすい、ヨーロッパのことが何でもわかるようになる読み書きが国民に普及する洋算法に便利、外国の印刷機が使えるなどローマ字論の根拠(国際性、教育、能率)がほぼ出尽くしている。1885年、日本語を書くのに、これまで用いてきた文字をやめてローマ字に代えることを目的とする<羅馬(ローマ)字会>ができて、ローマ字運動が始まった。しかし、この会でヘボン式つづり方を採用することになって、会員のひとりである田中館愛橘が1885年、のちに<日本式ローマ字>といわれるつづり方を発表し、すでにローマ字運動はつづり方について分裂した。ローマ字運動はその後衰えた。
日清戦争後また盛り返し、1902年にできた<国語調査委員会>では、調査方針の第1条に、<文字ハ音韻文字(フォノグラム)ヲ採用スル事トシ、仮名羅馬字等ノ得失ヲ調査スルコト>をかかげた。日露戦争後ローマ字運動の統一を目指し<日本語をローマ字で書くことを広める>ことを目的に<ローマ字ひろめ会>ができた(1905年)が、1909年には、つづり方について分裂し、後、日本式つづり方を主張する<日本ローマ字会>ができた。以後、日本ローマ字会のローマ字運動は、ローマ字問題の研究・宣伝、ローマ字図書の出版、小学校でのローマ字教育の実験など、社会運動としての組織ができた。1914年(大正3年)には田丸卓郎≪ローマ字国字論≫、1920年に同じ著者の≪ローマ字文の研究≫、1939年に福永恭助・岩倉具実編≪口語辞典≫が出た。それぞれ、ローマ字論、わかち書き、つづり方、言い直しの研究で、日本式ローマ字側の理論的研究がひとまずととのった。
1924年に総選挙でローマ字投票が認められた。このころから、つづり方をめぐるヘボン式と日本式の論争が激しくなっていたところへ、1928年ロンドンで開かれた万国地理学会議から、日本代表を通じて、日本の地名のローマ字つづり方を一定して欲しいという希望が伝えられた。
そこで、1930年(昭和5年)文部省内に<臨時ローマ字調査会>ができ、論議を尽くして、1937年内閣訓令によって、日本式に修正を加えた、いわゆる<訓令式ローマ字>が公布された。しかし、両派の争いが解消するどころか、日本式側が<訓令式>と<日本式>とに分裂し、後、(1947年)小学校でローマ字教育が始められたときも、同じ内容の教科書が3式で印刷されるなど、ローマ字化という大きな目標にとってマイナスになることが多かった。
第2次世界大戦中はローマ字論は下火となったが、戦後1946年アメリカ教育使節団がローマ字の採用を勧告し、次いで1950年第2次教育使節団が、ローマ字のつづり方の統一、学校教科に編入すること、教師の養成を勧告した。これに応じて、文部省は1946年に<ローマ字教育協議会>を設け、1947年(昭和22年)度から小・中学校の教科(国語科の一部)にローマ字を入れた。小学校4年以上で、随意科目ではあるが、ローマ字学習が義務教育に取り入れられたことは画期的なことである。
1961年からは小学校4〜6学年で必修とされたが、時間数は通算40時間で従来の1/3であり、1971年からは小学校第4学年で簡単な単語の読み書きを指導することにとどめられた。1958年3月には、国会内に事務書を置く<言語政策を話し合う会>が発足し、<社会の実生活では表音文字を用いるようにすべく>ことを宣言した。
表音文字の中には、かな文字とローマ字を含むと見られる。1869年以来のローマ字論、1885年以来のローマ字運動の歴史が教えることは、
1・ローマ字論は明治維新に始まった。
2・ローマ字論は戦争中または戦争後さかんになる傾向がある。
3・明治維新と敗戦後はローマ字化の最もよい二つの機会であったことなどである。
そこで、ローマ字化へ移る過程は、革命的にローマ字専用時代に切りかえるという極端な考えから、まず、かな文字、次いでローマ字という段階説(分野を分けて、初めからかな文字とローマ字とを併用していくという説も含む)、さらに、漢字・かなと併用していく併用論まで、いろいろある。